拳法の中に見られる合気技

JUGEMテーマ:合気道

 

 

 上の動画は、日本少林寺拳法の森道基先生の柔法の動画です。ここまでくると、柔法というよりは、むしろ合気技と言った方が正確なような気がします。通常の関節技であるはずの柔法を徹底的に極めると、こうなるんでしょうね。森先生の動きには、大東流合気柔術の影響は、全く見られません。独自の合気技です。

 

 40年近く前に大東流の道場にお邪魔した時に、先生が「気」を相手から取ったり、相手に入れたりすることが重要だと仰ったので、中国拳法を修行していた私は、「合気技は、中国拳法の影響を受けて作られたものですか?」とお尋ねしました。内家拳では、気の運用を重視するからです。

 

 すると、先生は、「合気は、日本で確立されたものです。」と仰いました。これも、正直言って、納得できませんでした。何故なら、私が習った中国人の老師も、同じような技をお使いになっていたからです。大東流合気柔術が、内家拳の影響を受けてなくても、合気技自体がもっと一般的なモノじゃないのかと言う疑問もありました。

 

 もっとも、その合気柔術の先生も、お弟子さんたちと一緒にジャッキーチェンの映画をご覧になっていた時に、「今のは、合気だね。」と仰ったそうですから、「合気技が体系的に整理されたのは、日本においてだ。」と仰りたかったのかもしれません。

 

 次の動画をご覧下さい。

 

 

 この太極拳の使い手の技は、明らかに合気化してますよね。やはり、合気技は、大東流の専売特許ではなく、ある程度武術をやり込んで、少し工夫すれば、誰でも出来るようになるもののようです。森先生にしても、この太極拳使いのご老人にしても、接触している部分ではなく、そこを通して相手の中心を動かしているという点は共通していますから、合気技は、極々一般的な技術だと言っても、過言ではないでしょう。


「合気技」解明・習得へのヒント

JUGEMテーマ:合気道

 

 

 この先生は、大東流合気柔術の方ではなく、合気道の先生のようです。しかし、この先生の座り技呼吸法は、合気道というよりは、かなり合気柔術や合気術に近くなっているように思えます。

 

 最近は、合気技に関するビデオや本、そしてブログ記事などを多く目にするようになりました。体育館や公園で、合気上げを研究しているグループやサークルもよく目にします。

 

 自分自身、偶然合気技を身に付けることになった私が、こういうことを言うのも何なんですが、そんなに合気技がいいですか?私は、合気技を習うなとか研究するなと言ってるわけではありません。

 

 前にも書きましたが、たとえ合気技を身に付けたとしても、あれだけでは直接役には立ちません。ああいう技術は、柔術や取手術などの関節技の延長線上にあるもので、接近戦において、相手が力んで関節技をかけられないよう頑張った時にのみ有効な技術です。

 

 合気技も含めて、通常の柔術や合気道の技は、あくまで相手が掴みかかって来たときの対処法を稽古しているに過ぎません。どうも、その認識が薄いまま、合気技を稽古もしくは研究なさっているような気がしてなりません。

 

 それよりも先に学ばなければならない事が、少なからずあるにも拘わらず、それらが無視乃至等閑視されて、合気技が独り歩きをしている現状は、あまり健全とは言えません。

 

 まず、突き・蹴りや武器術の攻防の基礎をシッカリと学ばれてから、ああいう技術を研究乃至学習なさっても、決して遅くはないと思います。あれを身に付けただけで、空手や剣道の有段者と戦っても、絶対勝てません。私が、保証します。

 

 既に合気技を使えるようになってらっしゃる方で、私の言葉をお疑いの方がいらっしゃるのなら、実際に防具を着用なさって、空手や剣道の有段者と組手なり乱捕りをなされば、私が真実を申し上げていることをご納得頂けるでしょう。ご自身がお持ちになっている竹刀で、剣道の有段者が持っている竹刀に合気技なんか掛けることは、絶対できませんよ。なぜなら、彼らは力を入れて竹刀を握っていないからです。合気技を掛けようとしても、スルッと躱されて、面か小手を打たれるのが落ちでしょう。何度も言うようですけど、私の申し上げている事がお信じになれなければ、実際にお試しになって下さい。相手が、答えを出してくれますから。

 

 或いは、空手や剣道の有段者の方で、現在合気系の武術を稽古なさってる方がいらっしゃるのなら、実際にご自身が習ってらっしゃる先生にお願いして、組んでもらえばいいでしょう。その先生が、合気の使い手であると同時に空手や剣道の有段者であれば、あなたに勝てるかもしれませんが、合気技だけしか身に付けていない人だったら、勝負はあなたの楽勝に終わるでしょう。信じて下さい。それが、現実です。まあ、これは、失礼に当たるので、絶対できないことですし、ご自身が、その事を充分弁えられた上で、合気を稽古なさっているのなら、何も申し上げる事はありませんが・・・・・・

 

 合気を稽古もしくは研究なさっている方々には、少しくお耳に痛い事を申し上げたのかもしれません。ご不快になられたら、何卒ご容赦下さい。

 

 

 それは、それとして、今日は、合気技を掴もうと努力なさっている方々に、私から一言アドバイスを差し上げたいと思います。

 

 大東流合気柔術を稽古なさっている方々にとっても、それ以外に、仲間内で研究なさっている方々にも、意外に聞こえるかもしれませんが、もし、合気技を身に付けたいと真剣に願ってらっしゃるのなら、まず、

 

 「〔大東流合気柔術〕と〔古式の空手・拳法や柔術・剣術〕は、全くの別物ではない。」

 

と認識なさるべきです。別物だと思い込んでらっしゃるんで、せっかくのヒントが目の前の武術の動きの中に隠れていることにお気づきになれないんです。同様に、

 

 「〔大東流合気柔術〕と〔合気会の合気道〕も、全くの別物ではない。」

 

と認識なさるべきです。それに、お気づきになれば、かなり合気技の核心に近づけることになります。

 

 次に、関節技の稽古中に、或いは合気道の座り技呼吸法の稽古の最中に、相手が頑張って技をかけさせまいとした時が、合気技を掴める絶好のチャンスだと認識することが肝要です。その時に、発想を根本から転換できるかどうかが、合気技の解明・習得のカギになります。発想を根本から転換させることができれば、それまでどうしても動かせなかった稽古相手を動かせるようになります。

 

 

 じゃあ、どうやって発想を転換させるのか?そのためには、通常の論理を積み上げていく思考方法を使うのではなく、論理を飛び越える訓練を脳に課す必要があります。つまり、禅の公案を解くような頭の使い方が必要になってくるということです。そのために、わざわざ臨済宗の禅寺に行って、老師に弟子入りする必要はありません。私が皆様方にお勧めするのは、ナゾナゾを解く習慣を身に付けることです。

 

 ナゾナゾを解くには、発想を転換させる必要があります。たいていの場合、禅の公案を解くときと同じで、論理的に答えを出そうとウンウン苦しんで、脳が疲れ切って諦めかけた時に、ポンと答えが閃きます。

 

 遠回りのようですが、この訓練を施していると、合気技だけではく、武道修行上の様々な問題を解くときにも、役に立ちます。勿論、普段から、「こうやっても出来ない。」というデータを積み上げておく必要があります。「こうやっても出来ない。」ということは、裏を返せば、「ああやれば出来るんじゃないか?」という意味ですから。

 

 そういうデータを日々積み上げながら、論理を飛び越える訓練を頭に課していれば、ある日、突然、答えが閃きます。信じて下さい。合気技は、特定の天才だけが為し得るものではなく、やれば誰でも出来るものです。

 

 手品に種があるように、合気技にも種があります。ただし、種が分かったとしても、それで即合気技が使えるようになるわけではないので、その点は悪しからず。手品の種が分かっていても、そのトリックを人前でうまく使えるように地道な練習をしていなければ、優れた手品師にはなれないのと同じ理屈です。

 

 参考にして頂ければ幸いです。

 

 

 

 


「合気上げ」についての一考察

JUGEMテーマ:合気道

 

 大学を卒業して、空手道場を経営しながら試行錯誤していた頃、知り合いの紹介で大東流合気柔術の稽古を見学に行きました。そこで、所謂「合気上げ」を目にしたわけですが、初めてそれを見たにも拘わらず、

 

 「あれ?これ、同じものをどっかで見たことがあるぞ。」

 

と思ったんですね。現在、「合気上げ」や「合気下げ」は、大東流の専売特許のように思われているし、誰も、そのことに対して疑問を感じることはありません。見学したとき、先生も「合気道と合気は、全く別の物です。」と強調なさいました。しかし、何かが引っ掛かったんですね。

 

 話を元に戻します。私が大東流合気柔術の稽古を見学に行ったのが、1982年春のことです。どっかで似たものを見たかすかな記憶はあったんですが、どこで見たかをどうしても思い出すことが出来ませんでした。

 

 それから暫くして、ふと入った本屋で手に取った「合気道の心,呼吸力」(砂泊 諴秀著)という本の中に、ほとんど同じものを発見しました。それで、思い出しました。高校二年の時(1973年〜1974年)、合気道オタクだった友人に誘われて、万生館合気道の砂泊先生の演武会を見に行ったことを。その時、合気上げとほぼ同じ動きを目にしてたんですね。開手と拳の違いはありましたが、先生の手首を握ったお弟子さんの腰が浮く点は、全く同じでした。

 

 上記の本が出版されたのが、1982年の7月ですから、私が初めて大東流の稽古を見学したのと、ほぼ同じ時期に出版されたことになります。それで、気になって、その後いろいろ調べてみたんですが、砂泊先生が、大東流を学んだという事実も、大東流関係者に接触したという事実も、確認する事はできませんでした。ただ、福岡市内にある色んな柔術の道場を見学に行ったときに、数人の先生方から、「砂泊君が習いに来たことがある。」という話を耳にしただけでした。しかし、それらの流派の中には、(「合気柔術」という名称のついた流派もありましたが、)合気上げのような技術を使う流派はありませんでした。

 

 これは、私の大胆な仮説ですが、合気上げのような技術は、普通の合気道や柔術を長年修行していれば、自然に会得できるか、或いはちょっと研究すれば誰でも気付けるモノで、大東流という特殊な流派の特殊な技術ではなく、ごくごく普遍的な技術なのではないでしょうか?

 

 そう考えた一つの理由は、砂泊先生の合気上げは、相手を上げた後の投げ方が、大東流とは全く違うものだからです。もし、同じものを学んでらっしゃれば、投げ方も同じになるはずですが、そうはなってないので、あれは砂泊先生のオリジナルのような気がします。もっとも、私が知らないだけで、九州に大東流合気柔術が入って来る以前に、どこかで大東流を学ばれたのかもしれませんが・・・・・・

 

 もう一つの理由は、私たちが、合気上げをできるようになった切っ掛けです。空手や拳法の稽古の合間に、合気上げの工夫をA君と二人でやっていた時、最初に合気上げに成功したのは、私ではなく、A君でした。私が、

 

 「今、なんで合気上げが出来たの?」

 

と尋ねると、彼は、

 

 「舟漕ぎの動きを使いました。」

 

と答えました。舟漕ぎと言うのは、元々、神道家の川面凡児が大分県の山中で出会った仙人蓮池貞澄から学んだとされている「天の鳥船」と呼ばれる古神道の行法で、小舟の魯を漕ぐような動作です。合気道を学ぶ人たちは、稽古前の準備運動中にこれを行います。私は、これに脱力と太極拳の撓りの動きを加えて、独自のモノに改変して、A君に指導していました。

 

 で、私も彼に倣ってやってみると、彼の腰を浮かすことに成功しました。その後、何度も改良する必要に迫られはしましたが、この時に合気上げのコツを掴むための取っ掛かりを得ることができたんですね。その時、私が考えたのは、

 

 「もしかしたら、砂泊先生も、舟漕ぎ運動をヒントにして、合気上げを掴まれたんじゃないか?」

 

と言うことです。「合気道の心,呼吸力」に出て来る合気上げの動きは、あくまで合気道の座技呼吸法として紹介されているだけで、大東流のような「合気上げ」と言う名称は使用されていませんが、本質的には同じものだと考えて差し支えないでしょう。現に、先生の両手首を掴んだお弟子さんたちの腰が浮いてますから。

 

   

 

 残念ながら、座り技における合気上げの動画を見つけることが出来ませんでしたが、立ち技での合気上げの動きは、この動画の5:07あたりから一瞬出てきます。(私が所有しているDVDには、座り技での合気上げが出てきます。)これ、何をどう見ても、「合気上げ」ですよね。先生のお顔の若さから見て、多分、70年代前半か半ば頃の演武のように思われます。

 

 参考にして頂ければ、幸甚です。

 

 

※オマケ:

 

1.以前、Uさんと言う女性に剣や杖の動きと一緒に合気技を教えていたことがあります。彼女は、私の教える合気技を信じられないほどの速さで身に付けていきました。不思議に思って色々聞いてみると、彼女のお父上が、小学校高学年の頃から中学二年頃まで、砂泊先生の個人教授を受けていたいう事実が判明しました。どうも、親の獲得形質は、子供に遺伝するようです。

 

2.砂泊諴秀先生お一人だけで研究なさって合気上げを掴まれたとは考えにくいので、もしかしたら、お兄様の砂泊兼基先生とお二人で研究工夫なさったのかもしれません。ここら辺の事は、今後の研究に期待したいですね。


続・成田新十郎先生

JUGEMテーマ:人生論

 

 

 

 相変わらず、凄いですねえ。もし、成田先生にお会いすることができれば、いくつかお尋ねしたいことがあります。

 

 「蹴って行っても、腰の回りは使えますか?」

 

 「大東流のように、スクミをかける事は可能ですか?」

 

 「腰の回りは、寝技でも使えるでしょうか?」

 

 技術的には、上記の三つがお尋ねしたいことです。しかし、私が先生に一番お尋ねしたいことは、上記のような技術的な事ではありません。

 

 それは、

 

 「対立的な人間関係になりそうな時も、同じことができますか?相手が、感情的な言葉で突っかかって来ようとしても、腰の回りで受け入れてしまえば、相手は自滅したり、自ら矛を収めたりするんでしょうか?」

 

ということです。

 

 全てを自分の自由な遊びの世界に受け入れてしまうというコンセプトを道場稽古の場で実践するのも、確かに難しいとは思いますが、実人生で実践する方がもっと難しいような気がします。

 

 先生と直接お会いしてお尋ねすることが出来ないので、自分で実験して確かめるより他に方法はありません。最近、研究の甲斐あって、60%程度なら先生の真似ができるようになったので、腰の回りを使って、職場にいるやや我の強い上司の吐く毒気を丹田を通じて地面に全部流してみる事にしました。

 

 結果は、驚くべきものでした。普段は、かなりの反発心を感じさせる人だったんですが、これをやると、彼は全く悪いところを出して来なくなったのです。これは、実に新鮮な体験でした。成田先生には、人生の極意に至るためのヒントを与えて頂きました。成田先生と成新会の諸先生に、心より御礼申し上げたいと思います。

 

 「稽古即生活、生活即稽古」

 

ですね。これから、「人生の渦」が私を待ってます。大きく息を吸って、自らその渦に潜り込みたいと思います。それが唯一、渦から安全に脱出できる方法ですから。また、お会いしましょう。

 

 

 

 

 

※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=2946


新武道

JUGEMテーマ:空手道

 去年の秋に、右手首を痛めた事がキッカケで、足払いや腰投げ、或いは関節技などを使わなくても、投げ技ができるようになりました。これは、意識的に新しい技を作ろうとして、出来たものではなく、全く偶然に出来上がったモノです。

 関節技を教えるためには、弟子に技を掛けさせて指導せねばなりません。手首を痛めていた私は、弟子のA君に関節技を教えることが出来ませんでした。とは言え、自分の体を掴れたときの対処法くらいは、護身術として教えておく必要がありました。
 そこで、せめて掴まれた腕を振り解く方法くらいは教えようと、武器術の体術への応用をA君に教えているうちに、彼がバランスを崩して倒れたのが最初のキッカケだったように記憶しています。
 空手や拳法にも関節技や投げ技は存在しているし、私自身、空手・拳法以外にも、柔道や合気道、また柔術なども修行したことがあるので、従来の物理的な投げ技も一応使うことができます。
 ただ、関節技に関しては、以前から疑問を抱いていました。それは、私が密教修行者だからです。人間の関節を決めて、相手を倒す稽古は、稽古相手の関節を痛めやすいし、各関節に存在しているチャクラのためにもよくないからです。
 要は、此方の体を掴んできた敵を制して、相手の戦闘能力を奪ってしまえばいいのですから、必ずしも従来の関節技を使わなくてもいいはずだというのが、私の考えでした。
 とは言え、現在構築中の新技術を発見するまでは、他に相手を傷つけずに制する方法がなかったので、止む無く、従来の関節技を練習したり、教えたりしていました。どうにかして、関節技を使わずに、相手を制することが出来ないものかというのが、長年の私の研究課題でした。
 それが、偶然の発見により、長年の問題を解決することができたのです。(この事自体、何かの予兆のような気がしています。)
 現在、我々二人が使っている投げ技は、相手の体を自分の体の一部にしてしまい、あたかも自分の体を自由に使うように相手を制する方法です。
 こう書くと、武術に詳しい方は、「それは、大東流合気柔術と同じ技術か?」と言う疑問をお持ちになるかもしれません。
 私たちが発見した原理を使えば、あれと同じことも出来ますが、二つの点で、我々の技術は、大東流とは違うと言えます。
 第一に、大東流は、主に剣や杖の理合い用いていますが、我々のものは、琉球古武道の理合いも少なからず入っている点が違います。と言うより、我々が、最初にこの新技術を発見するキッカケを与えてくれたのは、日本の剣術や杖術ではなく、琉球古武道の棒やトンファーの技術だったのです。
 ですから、我々が使う投げ技や固め技には、大東流とは全く異なる形が数多く存在しているのです。この技術を発見してから、you tubeで色々検索してみましたが、似たような技術はあっても、我々と同じ形を取って相手を投げたり、固めたりしている流派はありませんでした。
 
 第二に、大東流の場合は、握られた瞬間や、相手が握ろうとして近づいてきた瞬間に、相手の「気」を取ってしまわないと、技を掛けることが出来ませんが、我々の技術では、握られてから時間が経っていても、技を掛ける事ができる点が違います。もちろん、大東流と同じ様に、握られた瞬間に相手の気を取ってしまう事もできます。
 ここで、新しいシステムの構築に関して、些か学問的な見解を述べさせて頂きたいと思います。
 確かに、今我々は新技術を創り上げつつありますが、新しい技術と言っても、古武道の土台に新しい技術を接木したものではありません。かと言って、全く新しいものをゼロから創り上げているというわけでもありません。
 今、我々が試行錯誤しながら創り上げようとしている技術を構成している各要素は、ほとんど全て古式の武道から取ったものです。皆さん、レゴブロックと言う子供用の玩具をご存知でしょう。あれと同じです。
 現在我々がやっている作業は、各ブロックを組み合わせて、創り上げられていた「関節技」と言う名の建造物を、一度全部バラバラに解体して、全く別のより新しい建造物を創り上げているわけです。しかし、そこに使用されている各ピースは、以前と同じものです。いや、ちょっと、これは正確さに欠けた説明ですね。
 つまり、従来の「関節技」という建物を一旦バラバラにして、そこに、「武器術」や「鍛錬法」などの他のいくつかの建物を崩して持って来たピースを加えて、全く違うより機能的な建造物を創り上げていると言うのが、より正確な記述でしょう。
 まだ、試作品の段階に過ぎませんが、かなり効果はあるようです。A君が、つい先日、合気技を研究しているサークルに行って、私との練習で体得した原理を使って技を掛けてみたところ、面白いように技がかかったと言っていました。彼が技を掛けた相手は、二人ともフルコン空手の出身者ですから、我々のやっている事に間違いはないと判断してもいいでしょう。
 本稿を終えるに当たり、一つだけ申し上げたいのは、ああいう技が使えるようになったからと言って、それで武道を極めたなどという事は絶対にないという事です。
 以前「大東流合気道」という流派名を名乗り、弟子たちを道場で彼らの体に触れずに、ボンボン投げていた柳某と言う人物がいました。この人物は、試合で空手とブラジリアン柔術の経験者であるMMAの岩倉豪選手にボコボコにされて、手痛い敗北を喫しました。You tube等で試合の動画が公開されていたので、ご覧になられた方も少なからずいらっしゃるでしょう。
 合気技というのは、相手が掴みかかってきた場合にだけ有効なのであって、突きや蹴りを捌く技術を身につけていなければ、試合や実戦では何の役にも立ちません。この事は、こういう技術を使えるようになったA君と私の実感でもあります。
 私が、若い頃、合気道を学んだS師範は、柔剣道初段、空手二段だったと伺ったことがあります。一説によると、合気会の支部長は、必ず他武道の黒帯を取得しておくことが義務付けられているとのことです。これは、当然のことかもしれません。
 たとえ、自分自身が、突き蹴りを使わなくても、相手がどう動くかを把握していないと、合気道の技で空手使いの技を捌くことなど出来っこありません。相手が、木刀などの武器を持っている場合でも同様でしょう。
 因みに、柳某をボコボコにした岩倉選手も、養神館合気道の塩田剛三先生には全く歯が立たなかったようで、殴りかかっていった勢いを利用されて見事に投げられ、肩の骨を脱臼なさっています。
 塩田先生クラスにならないと、ああいう技術は使いこなせないという事でしょう。
 大東流には、剣術や杖術ばかりでなく、拳法も伝わっていたそうです。武田惣角の直弟子だった堀川幸道先生は、香港で拳法修行をしてきたお弟子さんを、簡単にあしらわれていたそうです。そのお弟子さんが、本気で何度掛かっていっても、敵わなかったという話ですから、大東流合気拳法も、堀川先生ご自身も、相当なレベルだったのだ思います。  
 剣や杖などの自由乱捕り等で、間合いを掴む稽古を長年積み、突きや蹴りの捌き方を研究稽古していなければ、合気道の技も、合気柔術の技も、絵に描いた餅にしか過ぎません。たとえ、約束事の稽古で相手を投げたり、固めたりすることができたとしても、それで、即、試合や実戦で使えるという事にはならないのです。この辺の事は、いくら強調しても、強調し過ぎるという事はありません。
 あまり大きな声では言えませんが、私自身、柳某をボコボコにした時の岩倉選手と似た様な経験があります。
 合気道や合気柔術に、過剰に期待して、幻想を抱いている武道愛好者をしばしば見かけるので、最後に敢えて苦言を呈させて頂きました。また、このサイバースペースでお会いしましょう。
 
 
 

リーダーシップ論: 自分を軸にして、世界を回す

JUGEMテーマ:リーダーシップ

 

 

 柔術や合気道における関節技の要諦として、「自分を軸とし、相手を動かす」というものがあります。

 初心者の場合、どうしても相手の関節を取った際に自分がいろいろと動いてしまいがちです。しかしこれではどちらが「主」でどちらが「従」かが分からなくなってしまいます。あくまで関節技を決めた方が優位に立つわけですから、自分はどっしりと地に根を張り、そこから相手を押さえ込むなり、投げるなりしていくようにしまするべきです。

 また投げる場合は、その軌道が「円」を描きます。この時も、自分を中心として、小さな円を描くように相手を投げると上手くいきます。自分が台風の目となり、相手はその回転に飲み込まれるようなイメージです。

 さてここで面白いのが、この考え方がリーダーシップにも通じるところです。特に教師であれば、クラスを長期にわたりまとめていかねばなりません。また道場の指導者であれば、道場全体に緊張感のある雰囲気を作り、道場生が集中して稽古に臨めるような環境を作らねばなりません。

 ではもし指導者が「相手中心」に振る舞ってしまったらどうなるでしょうか。 リーダーシップで致命的なパターンは、例えば教師が生徒のネガティブな発言や感情についつい過剰に反応してしまうことです。これでは生徒の甘えを引き出す結果となり、教師の指導力は弱まります。要するに、「生徒中心」にしてしまうと、教師の求心力が失われるために、クラスの緊張感も同時に失われてしまうのです。こうなればクラスはもはや「問題の温床」となります。

 また逆に、冒頭で述べた「自分を中心に相手を動かす」というアプローチではどうでしょうか。これは大げさに表現すれば、リーダーシップの初期段階では「オレ様」の姿勢で生徒の不平不満にいちいち反応せず、明確な理由をもって「こうする」と強く表現するというスタンスです。これは生徒の側からすれば、「この教師には甘えが通じない」と認識することになるので、自分を変えざるを得なくなるのです。そして精神的な成長へとつながっていきます。

 次にリーダーシップの第2段階ですが、それは「相手の抵抗する気持ちを起こさせないよう、いかに動かすか(投げるか)」です。ただ教師が高圧的なだけでは、生徒の中に不満が溜まるだけの結果となります。そこで上手く自分の意図する方向に生徒を動かすために、リーダーシップの中に「柔らかさ」を採り入れることが必要となります。これは言葉で説明するのが困難ですので、次の武道的な観点を参考にされてください。

 通常次の2点を意識すれば、相手の抵抗する気持ちを喚起することなく関節を取り、投げることができます。

力を入れないこと。力で関節技をかけられると、思わず力いっぱいに抵抗したくなります。脱力を心がけましょう。

 

 

 
相手の攻撃に対し、その力が向かう方向へと自分も動く。もしくはその力の方向に沿うように動き、そこから自然な流れを断ち切ることなく関節技へと持っていくこと(要するに、相手が突進してきたら、後ろに突き飛ばすのではなく、その突進の勢いを利用して前 にコケさせるようなイメージです)。

 
 上記の二点が、リーダーシップを身に付けようと日々努力していらっしゃる読者の皆様方のヒントになればとは思いますが、恐らく,涼ξ呂鮗汰するのは結構難しいでしょう。私自身、新人だった頃はどうしても生徒の前で肩に力が入りすぎ、上手く集団をコントロールすることができませんでした。しかしあまり難しく考えず、思考錯誤を楽しむくらいのつもりで取り組まれれば、リーダーシップを自然に身に付けることができるでしょう。
                                  (翔の作品)

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