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JUGEMテーマ:仕事のヒント

 海外では、日本人の評判が高いそうですね。私自身も、中国に住んでいたとき、いろんなところで、色んな国の人たちから、「日本は凄い」「日本人は、実に優秀だ」という言葉を聞きました。

 海外に住む一日本人としては、誇らしい気持ちになれる言葉でしたが、こちらに帰ってきてから、ホントにそうかなという疑問が湧いてくるようになりました。いろんな場面でちぐはぐな対応をする人たちに少なからず出会う事があったからです。

 確かに、日本人は、どの民族よりも秩序だって動ける民族ではあります。東日本大震災の際は、非常事態にも拘らず、整然と秩序を乱すことなく動いていた被災者の方々が、世界中の人々を驚かせたのも事実です。

 日本人は、全体的な秩序を守ることにかけては、世界一優秀な民族だといえるでしょう。確かに、秩序を乱して他人に迷惑を掛ける事は良くない事ですし、秩序だって効率的に動いていく事は決して悪いことではありません。

 でも、それも時と場合によりけりです。何かの雑誌で読んだ話ですが、オリンピックの閉幕式でのことです。陸上競技場のトラックを各国代表が、整列して歩きながら、拍手している観衆に向かって手を振っていました。しかし、その秩序も、次第に崩れていきます。選手たちが、観客席に近づき、観客と握手したり、抱き合ったりし始めたためです。

 次第に整列行進の秩序は崩れ、最後は、観客と選手が入り乱れて、皆自由にオリンピックの余韻を楽しみ始めました。

 ところが、ある国の選手団だけは、最後まで整列を崩さずに、行進を続けたのです。どこの国の選手団だったのかは、言うまでもないことでしょう。

 この話を寄稿なさっていた方は、礼法で有名な小笠原流の宗家でした。宗家によると、このときの日本人選手団の行動は、真の礼儀のあり方とは言えないとの事でした。

 面白いですね。本来、礼式の型を重んずるべき礼法の宗家が、こう仰ったのですから。

 上記の閉幕式での日本人選手団のKYな行動は、多くの日本人が、型というものに対して誤解してきた事によるものです。

 武道でもそうですが、道を究めるためには、まず型を身に付けなければいけません。

 でも、いつまでも型に拘っていては、常に変化する戦闘的現実に臨機応変に対応できませんから、次の段階では、型を変化させて使う事を学ばねばなりません。

 最終段階においては、自分の前に立っている相手が、何をどうしたいか、あるいは、どうしたくないかを己の心を空しくして感じ取るようにしなければなりません。この段階においては、型を忘れることが必要になってきます。己を無にして、相手の心をよく見ていれば、相手の行きたい方向へ導いていけるので、自分の思うように相手を動かす事ができます。それをやらずに、「こう来たら、こうしてやろう」などと考えていると、大抵の場合は、こっぴどい目に合わされます。たとえ無理して勝ったとしても、怪我する事が多いんですね。

 仕事も同様です。特に接客業に関しては、そうだと言えます。

 今の日本の社会人たちの接客のあり方は、最初のレベルで止まっているという印象を受けます。企業及び地方公共団体が、社員や公務員に、接客マニュアルだけを身に付けさせて、後は各人任せになっているんですね。

 先ほども申し上げましたが、他の国、たとえば中国なんかに比べると、日本人は全体として、かなり効率的に動ける民族だと言えます。しかし、それは、先輩たちが血と汗を流して作り上げたありがたーいマニュアルのおかげでしかありません。

 その貴重なマニュアルも、そのままの形で現実に適用しようとすれば、うまく行きません。何と言いますか、そうですね、現代の日本の社会人は、「マニュアル依存症」みたいな人が少なくないように思います。マニュアルどおりに仕事をしてさえいれば、上司に怒られる事も少ないからかもしれません。

 マニュアル依存症の社員や公務員の方とお話しすると、まるでテープレコーダーと話しているような印象を持ちます。自分の言いたい事ばかりをまくし立て、こちらの言いたい事には耳を傾けてくれません。マニュアルに拘るあまり、目の前の状況や目の前にいる顧客の言いたい事や気持ちが読めなくなっているんですね。マニュアルは、もちろん大切ですが、目の前の現実に適切に対応できないのは問題です。

 それもこれも、日本の新人教育のほとんどが、第一段階のレベルで止まっているためです。全国の各民間企業、各地方公共団体の研修担当者の方々には、この点を猛省して頂き、より質のいいサービスを顧客及び市民に提供できるように努力して頂きたいものです。




※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=1698

 


諸行無常: 流動的な社会の実現を

JUGEMテーマ:転職活動
 
  『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし』 

−鴨長明 方丈記より


 私の解釈にもとづいた意味は、

 『川は流れ続け、同じ水ではない。流れの止まった場所にも泡が浮かんでは消え、そしてまた浮かぶ。同じ状態はないのである。世の中の人や住み家も絶えず変わり続ける。』


 今、日本社会はあまりにシステムが硬直してしまっているように感じます。安定的に一つの場所にとどまるのは、変化に対する不安や恐怖心の裏返しなのですが、一度外に出てしまうと路頭に迷う危険性が高いという社会システムに一番の原因があるように思います。

 結局システムから外れると、「損」なのです。そのため、例えば本意ではない仕事をしている人も組織にしがみつかざるを得ません。この出口のない閉塞感こそ、日本社会に鬱屈としたムードを醸し出している犯人ではないかと思っています。

 ただ、自由に生きたいという人もいます。会社組織に「自分が何者であるか」を決められたくない人です。もし会社に帰属意識があるなら問題はないのですが、自分の個性が苦しんでいる人にとって本意ではない仕事というのは常に「かりそめ」であり続けます。

 また、例えばある仕事のポストがあるとして、それが定年まで保障されるポジションであったとすれば、結局は先に応募して手に入れた人勝ちということになります。この「早い者勝ち」のシステムでは現職の人より明らかに優秀な人がその仕事をしたいと思っても、その仕事を手に入れることはできません。

 このような硬直化した日本の社会システムが崩れ、契約型の労働形態が一般的になれば多くの人が自分の望む仕事にチャレンジできる機会が増えますし、また企業は働かない社員を入れ替えることができ、組織を活性化させることができると思います。

 日本社会の閉塞感の原因は、労働問題に起因する部分がかなりあると感じ、柄にもなく専門外のテーマについて思うままに書いてしまいました。「皆に等しくチャンスを」という観点からすれば、年功序列型・身分保障型よりも、契約による入れ替え型の労働形態のほうが、特に若い人たちにとっては不公平な「早い者勝ちシステム」を覆し、チャンスを公平に分配することができるようになると感じています。

 もっとも、これは会社勤めをする人に限った話ではありますが。    (翔の作品)




※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=436
  
 

能力は組み合わせて使うこと

JUGEMテーマ:仕事のヒント 

 単純な事実でありながら、ずっと気が付かなかったことがあります。

 一つのことに専心し、誰にも負けない特技や能力を持つことは大きな自信につながります。私はずっと英語に力を入れ、大学時代は時間さえあれば、英語の勉強に打ち込んできました。そして、英検一級を取得したのですが、このことは英語に対する自信につながったと同時に、愚かにも「よし、これで英語の仕事ができるぞ」とタカをくくってしまう結果も招いてしまいました。

 もちろん英語力を付けたからといって仕事が勝手にやってくる訳ではありません。仕事で大事なのは、どれだけ知識があるかということも重要ですが、むしろ得た知識の使い方をどれだけ知っているかの方がさらに重要なのです。英語の資格は言ってみればニンジンやトマトといった「料理の材料」に過ぎず、それを食べてもらう相手に合わせてどのように料理するかという腕こそが問われるのです。

 英語教師であれば、英語力だけでなく「教える力」が必要です。場合によっては英語の知識がありすぎると逆にそれに固執してしまい、目の前の生徒の実態を把握する眼が曇ってしまうこともあります。教える場合は自分の知識を一旦脇に置き、生徒が欲していることを理解するところから始める必要があります。
  
 私の場合、大学生の時すでに英検1級でしたが、仮に大学時代の私が教師をやったとしても、教師としては不適格だと言われるのは火を見るよりも明らかです。
 以前の職場には教育学の修士号を取った後輩教員もいましたが、むしろ大学まで野球部だった後輩教員の方が生徒指導力は遥かに上でした。
                               


 また、現在、私は通訳の学校で勉強をしていますが、通訳の学習においては必要最低限の英語力は前提条件であり、それに「通訳技術」を加えることによって英語を社会の役に立つ形に作り変えていく作業をしています。

 さて、ある一つの分野で専門的なレベルの力を付けてしまうと、どうしてもそれに固執してしまいたくなるのが人情ではないかと私は思うのですが、それをそのまま仕事にしようと考えると、その選択肢は随分と狭くなってしまいます。高い塔を築けば勝手に人が集まってくれるだろう、そう思いこむのは大きな勘違いなのです。バベルの塔のごとく、その驕りは必ず手痛いしっぺ返しとなって自分に返ってきます。

 仕事で求められること、それは相手のニーズに応じて最適な形で自分の能力を組み合わせ、役に立てることだと私は考えています。そういう意味では、一つひとつの能力について専門家レベルである必要は必ずしもないと思いますし、むしろ相手をよく見て、自分自身をもっとも役に立つ形にカスタマイズしていく力こそが、社会的な能力であると思います。たとえば児童英語の場で英検1級をアピールしても、そこにニーズはありません。自分が一生懸命取り組んできたことに固執しすぎると、その場の状況に応じた振る舞いができなくなってしまう恐れがあります。

 能力は相手のニーズに合わせ、上手く組み合わせて使うこと。私がこのことに気付くまで随分と時間がかかりました。身につけた能力やこれまでの業務経験、例えば英語、経理、パソコンスキル、電話の応対、企画や広報、さらには趣味などから、相手のニーズに合うものを引っ張り出し、一番いい形で組み合わせて使うことができれば、自ずといい成果が生まれることでしょう。まさに料理と同じです。そして資格の勉強をする際も、自己満足のための勲章などではなく「いかに、それを活かして使うか」という視点で取り組むならば、象牙の塔を作り上げ現実社会から乖離してしまうことを防ぐことができるはずです。

翔の作品)




※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=425

 

起業すること、新流派を立ち上げること

JUGEMテーマ:独立・起業


  会社を起業することと、武道の新流派を立ち上げることは本質的に同じことではないかと最近考えるに至りました。

 まずそもそも、会社も流派も同じく組織に属するという点で共通です。その環境の中でのルールに従い、言われたことを忠実に守り、行動していきます。つまり「型」にはまるということです。この段階では素直に物事を受け入れていくことが、組織人としての学びを加速させます。まずは大人しく言われたことにはハイと返事をし、実践していくことが求められます。

 これは私の実体験ですが、いわゆる社会人1年目でまったく会社組織というものを知らず、仕事に対する明確な哲学もないまっさらな状態では何事もすんなりと吸収できます。しかしある程度物事を知り、自分の中に「比較基準」ができてくると少々厄介です。ときに転職し、新しい組織の方針ややり方に不備が見えてしまったときも、従わざるを得ない状況に閉塞感を感じる結果となってしまいます。

 ここで別の例を挙げてみましょう。たとえば私が最初に学んだ空手の流派は剛柔流でしたが、その半年後より古式の空手を学びました。古式空手は技そのものがスポーツ空手とは一線を画し、実戦では空手本来の護身的役割が非常に高い、言い換えれば、殺傷能力が高いスタイルです。しかしそうでありながら、古式では合理的な体の使い方による自然な柔らかさを追求し、さらにはその中に人生訓にも通じる深い知恵が込められています。

 この空手を二段レベルにまで深めた後、師匠が中国へ数年ほど行くことになったために現在の道場に入りました。しかしこちらの流派(ここでは、流派名を伏せさせて頂きますが・・・)においてはただ空手の動きをなぞるばかりに終始している道場生がほとんどであり、空手を通じて学べる深い知恵が表に出てくることはありません。また組手においても「拳」で戦うことが義務づけらており、「手刀」を使うことができない不自由さはなかなか払拭しずらいものがあります。

 しかしそれでもその流派の素晴らしいエッセンスは存分に吸収できています。ただ問題なのは、古式を知りながらも現在の流派に留まり続けることは不自然な方向性であるということです。そこでの人間関係も組織での振舞い方にも慣れ、ずっとそこに通い続けることも考えられる選択肢です。しかしながら、自分にとっての「本来のもの」が他との比較によりより鮮明に浮かび上がってしまった今となっては、現在の流派のエッセンスを古式と融合させ、新たなスタイルを築き上げていきたいと思うようになりました。

 これこそが自然な流派の立ち上げであり、会社で言えば起業です。組織の中で学び、そして自分自身の考えや感性を発展させ、新たな創造を始める。まさに守破離の考えですが、起業とは決して組織からの逃げではなく、組織の外へと自然に押し出される形でスタートするものなのではないのかと考えるようになりました。

 そこから先は自分が創造していく世界であり、ある意味で未知の世界です。しかし、どの時代でも理想を胸に積極的に行動を起こしていった人物が新たな世界を開拓してきた事実に思いを馳せれば、踏み出す一歩も高鳴る鼓動とともに、大きく未来へのアーチを描けるのだと思います。

 (翔の作品)



※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=333

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