「動的な瞑想」としての空手

JUGEMテーマ:瞑想


 日々考えることが多く、また勉強などで頭を酷使している人にとっては瞑想が重要なリセットツールとなります。瞑想によってあれこれと思考が飛び交う脳内を一掃し、脳、ひいては体全体の緊張をほぐすことができるのです。

 頭を使うことは大切ですが、酷使しすぎるのはいけません。フル回転になった頭は大きな疲労を生み、集中力を低下させてしまいます。たとえば勉強という行為はたいして肉体的な負荷をかけるものではありませんが、さすがに2時間もぶっ続けで集中して取り組めばかなりの疲労が生じます。そして、このまま継続しようとしても、疲労した脳は新しい知識をなかなか受け入れてはくれません。ちょっとのつもりで横になろうものなら寝入ってしまうのがオチです。「疲れたら勉強は止めよう」で済む人は構いませんが、脳が限界まで疲れてもなお知的作業に従事し続けなければならないという人は「脳のリセット」を習慣的に取り入れていくべきです。

 ちなみに、頭の回転数がきわめて高くなっている状態で瞑想を試みるとどうなるでしょう?これはなかなか難しいはずです。とめどなく思考が介入し、落ち着くどころではありません。そこで「動的な瞑想」を提案したいと思います。

 これは、空手に限らず他の運動で実行しても有効なのですが、「もう何も考えられない」というくらい体に負荷をかけてみてください。たとえば私が稽古している道場では、まず基本稽古を行います。突きや蹴り、受けなどのバリエーションを10回ずつ、ほぼノンストップで行っていくのですが、10分もすれば息も上がり始め、筋肉疲労も生じ、意識が朦朧としてきます。もう何も考えるどころではなく、必死に気合を出しながら基本技を繰り出している状況です。

 30分が経過したころには静的な瞑想を終えた状態と変わらぬ境地であり、非常に清々しい風が脳内に吹いています。頭の疲労など微塵も残っていません。この感覚は負荷のかかる知的作業をした後には格別です。頭が疲労すると体を動かすのさえ億劫になるものですが、逆に体を動かした方が頭も体も元気になります。

 知的作業に従事している方にはこの「動的な瞑想」がお勧めです。一旦頭の中がリセットされれば、また知的作業へのエネルギーが沸いてくるのを感じられることでしょう。
 
 また知識を詰め込みすぎることの弊害として、その新しく得た知識が自分の目を曇らせる恐れがあります。要するに頭でっかちになり、目の前にある真実すらも見失ってしまうようになるかもしれません。純粋に、感じるままの世界を大切にする意味でも、頭の中を「空(くう)」にする瞑想という行為は必要なのです。  

                                (翔の作品)  



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「脱力の恩恵」を受ける前に大事なこと

JUGEMテーマ:仕事のヒント

 これまでに武道における脱力について何度か述べる機会がありましたが、一つ注意すべき点があります。それは「脱力に至る過程」についてです。

 脱力した突きや蹴りを放つにあたっては、それまでに十分にハードなトレーニングを行っていることが必要です。というのも、武道の初心者がいきなり力を抜いて動き、突きを放ったとしても単に弱々しい「蚊の刺すようなパンチ」でしかありません。脱力の前段階では力を入れてサンドバッグを殴ることも重要です。そして十分に正中線の芯を作ったのちに脱力を覚えると、一見軽そうな突きでも当たれば相手の体を突き抜けるような「浸透する突き」が出るようになります。

 
そしてこれは他の分野においても同様です。仕事で脱力を使い、事務作業や思考作業をスムーズ且つ省エネで行うには、それまでに必死に頭を使い、膨大な量の作業をこなすような経験が土台として必要になります。私は6年間ほど英語を教える仕事に従事してきましたが、分かりやすい文法解説プリントを1枚仕上げるだけでも、当初はものすごく時間がかかっていました。

 まず知識が足りないため複数の文法書に串刺し検索のごとく目を通し、わかりやすい説明を頭を絞りながら考える。そしてワードでプリント作成いく中で、見やすく目に優しいレイアウトや例文の配列を試行錯誤しながら練っていく。これが日々続いていくのですが、次第に「形(かた)」が生まれてきます。説明の仕方、レイアウトの仕方などベストな形が徐々に決まっていき、自然と力が抜けた形でプリントを作ることができるようになりました。

 もちろん生徒が変われば形も更新していくことにはなりますが、一旦蓄積ができると一つひとつの処理が大変容易になります。もし最初から力を抜いて取り組んだとしたら、単なる手抜き作業です。

 「脱力には前段階がある」ということを銘記され、日々のお稽古、お仕事に励まれてください。
                                 (翔の作品)



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動きのスピードを上げ、脳の回転数を上げる

JUGEMテーマ:語学習得

  武道の稽古と英語学習の秘訣の1つとして、稽古動作・学習動作の高速化を挙げてみたいと思います。ゆっくり練習するのは「正確な理解」や「正しい動きの定着」を目指すためですが、これだけに集中すると組手や英語を話すときに考えてしまうため、いつまでたっても「無意識の技」を使うことができません。

 一瞬の技のやりとりにおいては、決して考えてはいけません。こういうと大げさに聞こえますが、「考える」という行為は実戦であれば命を落とすほど危険なことであると理解し、緊張感をもって組手に臨むべきです。英語であれば通訳がそのことに当てはまりますが、これも瞬間の勝負です。

 武道の稽古においては約束組手を徐々にギアを上げながら、お互いに考えなくても技を出せるレベルになるまで練習してみましょう。この稽古が終わった直後はちょうど放心状態のようになりますが、この方法によって普段の組手のスピードがいつもより遅く感じるようになってきます。

 英語学習においても同様にスピードを上げてみてください。簡単なところでは音読スピードを上げてみることをお勧めします。もちろんスピードを上げても発音が崩れないよう、ゆっくり丁寧に音読を始め、徐々に速度を上げていきます。これにより、英語を処理する速度が飛躍的に高まります。10分ほどこの高速音読を実践すると、頭の中が「英語脳」なっている実感が得られるので、是非やってみてください。

 単純に頭の回転数を上げ、勉強全般の効率を上げるためだけなら、日本語の音読でも構いません。自分は日本語ニュースを最大限にスピードを上げて音読しています。最初は「理解が追いつかない」と感じますが、次第に慣れてきます。

 「いつもの自分のペース」を守るような取り組み方では、いつまでたっても頭の回転数は上がりません。この頭の回転を突き詰めると、最後は瞬間的な反応ができるところにまで行き着きます。これは、武道で言うところのいわゆる「無想拳」に近いレベルであり、英語で言えば同時通訳レベルといったところでしょうか。

 時間は貴重です。稽古や学習は効率的に。           (翔の作品)




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英語でのスピーキングにおける脱力の用い方

JUGEMテーマ:語学習得


 多くの英単語や英語表現をインプットしているにも関わらず、スピーキングとなると簡単な単語の組み合わせすら使いこなせないという英語学習者はたくさんいます。これはなぜでしょうか?この問題を考えるにあたり、私にとって身近な「英語学習者」である英語教師を取り上げてみます。

 英語教師は日々英語と格闘し、膨大なインプットとともに授業などにおいて音読を繰り返しています。しかしながら英語は決して流暢ではありません。挨拶や感情表現といったある意味で「暗記の英会話」のレベルであれば問題はないようですが、それ以上のレベル、具体的には自分の意見を伝え、且つその理由を説得力のある形で表現するとなると大変苦労しているようです。

 まず彼ら英語教師に共通して見られるスピーキングの共通点は、英語を話すまでの「間」の長さです。私自身も英語を学ぶ一過程においては、なかなかこの「間」を克服できませんでした。この原因は普通「考えること」によって生じます。
  
 これは学校英語の特性上、仕方のないことかもしれません。授業で英文を読み解き、また英文を作らせる過程において、教師は生徒にある程度の作業時間を与えます。しかしこのことが逆に英語教師自身にも「考える癖」をつけさせてしまっています。これは英会話においては致命的です。

 たとえば武道でも、試合中に「次はこうしてやろう」、「あの技を使って攻め込もう」といったことをついつい考えると、確実に予期せぬ一発をもらってしまいます。

 考えるということは、本来は自由であるはずの自分の動きをその思考の枠の中に閉じ込めてしまうことに他なりません。組手というのは相手との関係性により、常に一寸先は闇とも言える展開を有しています。そのため大事なのは決して考えず、皮膚感覚で感じ、身体が動くままに動くことなのです。これを実現するためにこそ「脱力」を活用する事ができるのです。

 本来脱力とは「身体的な力を抜く」ことですが、ここでは「意識の脱力」も行い、意識を無意識の状態に持っていきます。まず頭のてっぺんから後頭部、表情筋(特に目)、そして肩の力を抜くようにします。このときの意識の状態は「眼前に広がる壮大な山々を眺めているようなイメージ」です。リラックスし、視野が広がるにつれて組手の流動性により対処しやすい意識状態へと切り替わります。

 これまでに何度も書いてきましたが、技は「出そうとする」のではなく自然に「出る」というのが正しいのです。英語のスピーキングおいても同様です。英語を喋ろうと構えれば構えるほど、不自然な間が生まれ、頭の中に横たわっている膨大な蓄積も生かされません。逆に、無意識で会話の流れを感じ、言葉が自然に出てくるような経験を積み重ねていけば、フリースタイルの会話を存分に楽しむことも可能になってきます。

 ここで、もう一つ大事な点を指摘しておかねばなりません。それは、「英語は喋れて当たり前」、「自分はそもそも英語しか分からないネイティブだ」くらいの心積もりで会話するということです。

 とにかく意識は蓄積を引き出す上でのバリアーになりがちですので、意識が十分に働いている間は完璧さを求めたり、恥ずかしさなどが先立って、声も小さくなりがちです。信じ難いことかもしれませんが、英語教師といえどもこの問題を抱えているのです。実際ALTとのミーティングにおいて、発言をしているのは進行役と私だけという笑うに笑えない状況があるのもこのことに起因しているようです。ある先生は「自分の英語を(ネイティヴスピーカーに)聞かれるのが恥ずかしい」とあるときコッソリ私に打ち明けてきました。このような心的原因による発話上の障害も、意識の脱力により無理なく克服できるはずです。先に述べた「心の使い方」とこれを併用すれば、さらに大きな効果を挙げることができるでしょう。

 一人でも多くの方のスピーキング力が上達することを心より願って、本稿を終えることに致します。
 

 (翔の作品)




「時代」との組手を続ける

JUGEMテーマ:ビジネスマインド


  時間は流れ、社会もその姿を刻々と変えていきます。その中で一つの場所に腰を落ち着けるというのは、時代の流れに翻弄されてしまうということと同義ではないかと、自分の進むべき道をシミュレーションする中でふと思いました。

 自分は何でも考えを巡らすとき、無意識のうちにそれを空手の体系に置き換えて考える癖があります。このときも組手の状況に「自分と時代の流れ」を当てはめてみました。空手の教えには不思議と人生の縮図とも言えるべき点が多く、私は以前その奥深さに魅力を感じのめり込んだという経緯があります。

 まず組手では自分と相手がいます。そして組手の攻防ではお互いの技のみならず、「間合い」や「技の組み立て」という二つの変数もその展開に大きな影響を与えます。組手がどのような展開となるのかはまったく予測がつきません。

 ただ、ここで一つ確実に言えることは、何度も相手と組手を重ねる中で、自分に成長・変化がなければ必ず展開は不利なものになっていくということです。もちろんこれは相手が成長・変化しているという前提があっての話ではありますが。しかしこのことを「自分と時代の流れ」という関係に当てはめると次のような結論になります。

 まず大前提として、時代は流れ、変わり続けます。それにも関わらず新しい技能・能力を身に付ける努力をせず、時代に働きかけることをしない。または新たな戦略なしにこれまでと同じアプローチで仕事をし続けるといったことは、生きたまま化石になることを選択するようなものです。

 いつまでも同じ動きで組手をしていれば、すぐに相手に差をつけられしまいます。そして次第に相手に問題にされなくなるほど実力差が開けば、もはや自分の技が届く間合いといった話どころではなくなってしまいます。だからこそ、まずは決して時代に間合いを空けられないことが肝心です。そのためには変化を厭わない心と積極的な行動が必要になってきます。

 そして間合いに入っていたとしてもただ蹴ったり突いたりと、戦略のないことをしていては駄目だということです。これでは簡単にカウンターをもらってしまいます。技を当てるための戦略をしっかりと練らなければいけません。ここまでの話について一つ例を挙げますと、現在、世にある英会話学校は時代の流れに大きく間合いを空けられています。英会話熱も下火となった今でも、宣伝・アピールの仕方からして変化が見られません。スクールと客(生徒)を結びつける効果的な戦略が不在です。アピールされているメリットについて、本当に人々の心に響くようなニーズがあるのかを良く考えてみる必要があります。

 さてまとめとなりますが、何はともあれ、時代の流れとともに自分も変わっていかなければなりません。ある意味で「時代との組手」を続けることです。そのためには「様々な経験を欲すること」が大切になってきます。向上心というものは毎日自分を飽きさせず、自分に刺激を与え続けてくれます。今やっている仕事を楽に、楽しく、面白くする方法を考えてみる、やってみたいと思っていた仕事には積極的にチャレンジする、海外旅行に出かけてみる、など変化を求める姿勢があれば、そこから新たな出会い、考えや発想が生まれていきます。

 最後に少々蛇足となりますが、今回このようなテーマで書いたのは、どうも私と同じ若い年代(20代後半)の人たちの多くが夢と現実を秤にかけ、小さくまとまってしまうことが残念だったからでもあります。挑戦による失敗や、慣れた仕事や安定した人間関係から離れてしまうことへの不安や恐怖心があるのかもしれません。しかし以前別の記事で述べたように、変化を犠牲にした安定はサバイバル能力を失うというリスクにつながります。日本が今日のまま、ずっと変化しないということはありえないのですから。 

 (翔の作品)



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空手と英語の共通点: 上達方法について

JUGEMテーマ:語学習得



 英語は「知識」だという前提で学習に取り組むと、本当に知識で終わってしまいます。

 これはちょうど空手を本やDVDで独習するようなもので、頭で理解したことが実践なしに身体的動作の向上につながることはほとんどないと言えます。たとえば形稽古について、間違っている部分を指摘され、一応頭では納得したとします。しかしその直後に、指摘された通りの正しい動作ができるかどうかは、個人差はありますが、普通すぐにはできません。まず意識して指摘された所作を反復練習する。そこから無意識に正しい動きができるようになるというプロセスを踏むのが一般的だからです。

 英語でも同様です。たとえば単語について、スペルと日本語訳をひたすら覚えるという勉強であれば、読解には通用するものの、運用レベルになると「引き出せない」のです。そのため、英語でも空手のように、動作的な学習が欠かせません。単語については、私は高校3年生の頃より次のような勉強方法を実行しています。

 ルーズリーフの左側に英単語、右側に日本語訳を書き、まず一通り暗記したら日本語訳(右半分)を隠します。そして英単語の意味を上から一気に、瞬間的に言っていきます。スラスラとできるようになるまで行います。そしてその反対、日本語訳を瞬時に英語にするという練習も行います。

 そして肝心なことは、一度できたとしても、数日ほど期間をおいて再び同じように瞬間和訳・英訳を行うことです。空手の形稽古も同じものを繰り返し、毎週行います。動作的なことは反復により、無意識のレベルにまで高めることができ、実戦において瞬間的に使えるようになるからです。 英語を単なる知識として扱うならば、自分に付加価値を生むことはできません。

 とにかく英語の運用能力向上についてはいかに身体動作を伴う訓練を積み、そして場数を踏んできたかということがポイントです。 実践(実戦)に即した稽古が大切なのです

 高校での英語の授業においても、私は生徒に「英語は頭でするものじゃない」と日々繰り返し伝えています。実際英会話が伸びる生徒というのは、頭を使うことよりも「感じること」を大事にし、間違えたらどうしよう、とか皆の前で恥ずかしいといった余計なことは全く考えていません。逆に「成績の良い生徒」ほど声が小さく、ぎこちなく、難しそうな顔をしてALTの先生と対話しています。

 英語は空手の上達方法と同じようなプロセスを踏みます。このことに気付かれたこのブログの共同執筆者である龍氏は、39歳より英語の勉強を本格的に始められ、10年もせぬうちにTOEICで900点を越えるまでになりました。このこと自体も驚嘆に値するのですが、私が驚いたのは寧ろ、留学経験が一度もないにも拘らず、外国人と武道の話をはじめとした深いレベルでのコミュニケーションを流暢な英語で取っていらっしゃった事でした。その秘密の一旦が今回取り上げたテーマであります。このことが英語学習者の皆様の参考になればと思います。

 (翔の作品)



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武道の智恵 検  嵬瓦班霪察廰

JUGEMテーマ:空手道



  さて、その翌週の稽古日のことです。N君は明るい顔で稽古に出てきました。私も含め、一緒に稽古していた練習生たちも彼のことを随分心配していたので、彼の別人のように明るい顔を見て、皆ホッとした様子でした。
 

 いつものように、基本の練習から始め、移動稽古と型の練習が終わった後、運命の約束組み手の時間がやってきました。今までは、この時間になると顔が真っ青になっていたN君ですが、その日は全く動じる様子がありませんでした。私が与える指示もちゃんと頭に入っているようです。

 私はN君と組む相手に、まずはゆっくり動くように指示しました。太極拳をやっているようなユックリとした突きを彼は、私が指示した通りの動きと心の使い方でしっかりと受けました。とりあえず、一安心です。次に、ややスピードを上げての突きもN君は難なく受けて相手の脇に反撃の突きを決めます。
 

 恐怖心は、全くなくなったようです。私はN君に「面を装着して、本気で当てに来る突きにもチャレンジしてみるか?」と聞きました。答えは「やります」という潔いものでした。
 

 N君は、面をつけ腹を括った様子で、相手の突きを待っています。このとき、他に4,5人の練習生がいましたが、皆練習の手を休めてN君の半実戦的な約束組み手の練習を見つめ始めました。皆、それまでのN君の苦しみをよく分かっていたからです。
 

 N君は、組み手立ちで正眼の構え、相手は左下段払いの構えで右の拳を右脇に構えています。二人の目が会い、呼吸が合った瞬間、相手は右足を勢いよく踏み込みながら、思いっきり当てるつもりでN君の顔面に右正拳突きを放ちます。N君は素早く腰を落とし、綺麗な左上段受けで相手の突きを受け、聞いているこちらの腹の底に響くような「エイッ!」という鋭い気合とともに相手の右脇の横に鋭い突きを放ちます。後で本人に聞いたところによると、全く意識せずに自然と下腹から気合が出たそうです。

 N君の見事な逆突きが決まった瞬間、皆の間から拍手が起こりました。彼は、初歩的な段階でのものではあれ、恐怖心を見事に克服したのです。生れつき勇気のある人たちには、この時の彼の喜びは理解できないかもしれません。しかし、彼のような臆病な人にとっては文字通り清水の舞台から飛び降りるような覚悟と勇気が必要な一大事業だったのです。皆に肩を叩かれ、祝福を受けているN君は本当に嬉しそうでした。
 

 後で本人から聞いたところによると、高い所から飛び降りる夢を見るまでは、つまり約束組み手を初めてまともにやることが出来たこの日までは、約束組み手の時に、私が彼に与える指示が全然頭に入ってなかったとのことでした。道理でいくら指示を与えても、彼がちゃんと動けないはずです。感性の機能ばかりでなく、理性の機能まで完全に麻痺していたのです。平常心をなくすと、人間はまともに考えるこすらできなくなるという生きた証拠です。
 


 この日の晩、彼はまた夢を見ます。今度は、飛び降りる夢では、ありません。気味の悪い廃墟のようなところを歩いている夢です。周囲からは、獣のような声が聞こえてきます。何か自分に対して害意のあるものがこちらの様子を窺っているいるような感じです。その日、約束組み手で恐怖心の克服に成功したN君は「来るなら、早く出て来い」と思いながら歩き続けますが、その日は何も出てこないまま夢が終わります。
 

 次の日の夢も、同じ場面から始まります。今度は、かなり近くから呻り声が聞こえてきます。何かの気配を感じてN君が振り返ると大きな柱の後ろから、アメリカ映画の「プレデター」に出てくるような化け物が姿を現します。この瞬間、彼は後ろを向いて逃げ出してしまいます。朝、目が覚めてから、「しまった。逃げちゃ駄目だったんだ」と後悔します。その日に化け物との対決に失敗した旨の電話を彼からもらった私は、彼に「今度は、戦わなくてもいいから、逃げずに化け物と対峙してごらん。但し、空手の構えはちゃんと取るように・・・」と指示しました。
 

 それから、一週間程して、彼はまた同じ夢を見ます。私の指示を受けていたN君は、その日化け物が出てきても、慌てることはありませんでした。夢の中で、柱の後ろからユックリと姿を現した化け物に向かって、正眼の構えを取り「俺はお前なんか恐れない。掛かってくるなら、掛かって来い」と言い放ちます。

 化け物はこの世のものとは思えないような恐ろしげな雄叫びを上げてから、彼の目を睨みつけてきます。前以て、相手のコケオドシに引っかからないように私から注意を受けていた彼は、ただ相手の目をジッと見詰めたまま動きません。後で本人から聞いたところによると、この時は、不思議と落ち着いていて、「これは夢だ。こいつに負けても死ぬことは無いんだから、やれるだけのことはやってやるぞ」と思ったそうです。
 

 化け物は、呻りながらユックリと間合いを詰めてきます。今までの彼だったら、とっくの昔に逃げ出していたでしょうが、その日の彼は違っていました。逆に、自分の方からもジリ、ジリッと間合いを詰めていきます。そして両者の間合いが限度まできた瞬間、化け物は棘の生えた右の拳で彼の顔面を殴りつけてきます。素早く、腰を落としたN君は左腕の外側で相手の腕を跳ね上げ、「エイッ!」という鋭い気合とともに化け物の鳩尾に見事な右正拳突きを決めます。化け物は体をくの字に折りながら、その場に倒れます。

 N君は、基本通り再び正眼の構えを取りながら、倒れた相手から決して目を離さずに間合いを切って離れます。N君が気を抜くことなく倒れた化け物を見ていると化け物は煙のように蒸発して消え去ってしまいます。

 落ち着いて、正しい技術正しく使えば、ちゃんと相手の突きを受けることができるということを体で悟った彼の空手修行における実体験が、夢の中でも恐ろしい姿をした化け物との戦いに勝利を収めることを可能にしたのです。
 

 前回夢の中で飛び降りることに成功したN君が、現実の武道の稽古で恐怖心を克服して体を型通りに動かせるようになったのと同じように、今回は現実の武道の稽古の成果が夢の中での恐怖心の克服に役立ったのです。

 夢の活用が武道修行に有益なように、武道修行も夢見の発展にとても有益です。両者をうまく活用することができれば、その相乗効果で無理なく恐怖心を克服していくことができます。勿論整体などの物理的アプローチも欠かせませんが・・・。
 

 それから、暫くしてN君と酒を飲んでいた時、彼が中学の時から高校二年の時までイジメを受けていたことを本人の口から聞きました。彼はそのことを考えることすらずっと避けていたのです。中学生の頃から、彼の夢に出てき始めた自分を追いかけてくる化け物は、自分を苛める相手によって刷り込まれた彼自身の恐怖心の象徴だったのです。

 後に初段レベルまで上達し、郷里に帰った彼は、道で偶然イジメの中心的存在だった同級生に再会します。以前の彼とは違い相手の目を見て堂々と話す彼に、相手はかなり驚き威圧されていたそうです。(相手の方は心に引け目があるから、「仕返しされるんじゃないか?」と当然ビビります。)

 彼の方も「何でこんな奴をあんなに恐れていたんだろう」と不思議なくらい相手が弱く見えたとも言っていました。彼は、相手に仕返しをしませんでした。やったら暴行傷害罪になることとその時闘えば勝てることをよく分かっていたからです。十年近い悪夢からN君はやっと解放されたのです。
 

 「武道の智恵検 慳瓦班霪察戞廚郎2鵑能了です。やっと終了できました。ホントは、N君が化け物を倒した後、彼の夢は別の展開を見せるのですが、それを書き始めると話題が武道から離れてしまうので今回は割愛させて頂きました。そのことは、また別の機会に述べさせて頂きたいと思います。
 

 私、今日内モンゴルから自分の住んでいる街へ帰って参りました。阿蘇の草千里のスケールを何倍にもデカくしたような、モンゴルの草原は言葉では語り尽くせない美しさがありました。二百キロ先の地平線の先まで、何層にも重なって見える雲の形と大きさからして、日本のそれとは全然違います。本当に肚の底を揺さぶられるような感動でした。しかし、地元の人たちとの飲み事はかなり疲れました。あちらの人は、まずアルコール度40〜50程度の白酒〈パイチュウ)を2杯くらいのみ、それからビールを「乾杯」と言っては一気飲みします。こっちが飲まないととても怒ります。というわけで、四泊五日の旅の間中、二日酔いに悩まされたであります。

 皆様方も飲み過ぎにはくれぐれもご注意を。武道の智恵垢任泙燭会いしましょう。それまで、何卒ご自愛のほどを・・・。(^_^)/~
 


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武道の智恵 検  嵬瓦班霪察廰

JUGEMテーマ:空手道


 さて、夢の中で、なかなか高い所から飛び降りることが出来なかったN君ですが、実際に約束組み手をやる時もヒドイもんでした。顔は青ざめ、腰は引け、目をつむったまま受けようとするので、危なっかしくて見ていられませんでした。
 

 色々技術的なアドヴァイスを与えましたが、全く効き目がなく、夢の方も進展は見られない状態でした。約束組み手の練習を始めて二週間ほど経ったころ、練習に出てきた彼が「辞めたい」と言ってきました。そう言われた私自身指導者として、彼をどう指導すべきか分からず途方に暮れていたので、「辞める?」と言ったきり次の言葉が出てきませんでした。彼ほど極度に怖がりの人をそれまで指導したことがなかったからです。「せっかくここまで地味な練習についてきたのに、勿体ないなー。何かいい方法は無いか?」という思いと「ここら辺が潮時かな。N君は武道に向いてないかも」という思いが私の中で交錯しました。


 暫く考えた私は「分かったよ。でも、後一週間俺に時間をくれないか?稽古には出て来なくていいから、もう一度夢の中で、高い所からのジャンプに挑戦してみてくれ。一週間経っても何も変わらなかったら、俺ももう止めないよ。君とは縁が無かったと思うことにするよ。」と彼に言いました。彼は「分かりました。」と言って、その日の稽古には参加せず帰って行きました。ガックリと肩を落として帰って行く彼の後ろ姿は、とても寂しげでした。
 

 そして、その三日後、彼から電話が入りました。こちらが、びっくりするほど元気な声で「やりましたよ、先生!飛び降りました。飛び降りれたんです。」と電話口で叫びました。以下その時の二人の会話です。

 「飛び降りたって、君、絶対無理だっていってたじゃないか。」
 

 「ええ、自分一人じゃやっぱり無理だったでしょうけど、一人じゃなかったんで 
 す。」

 「一人じゃなかったって、一緒に飛び降りてくれる人が夢の中に出てきたのか?」

 「そうです。」

 「誰か知ってる人か?それとも、全然知らない人?」
 
 

 「先生もよくご存知の方です。」(悪戯っぽい声で)

 「俺が知ってる人?上原先生か?それとも一緒に練習してる人か?」

 「誰だと思いますか?」

 「誰だよ?勿体つけずに教えろよ。」

 「先生ですよ。」
 
 

 「俺か?ちょっとビックリだな。俺、夢の中で君に何て言ってた?」

 「実は昨日の夜、寝床で先生に習った自己暗示をかけていたんです。そしたら、
 いつの間にか眠り込んでしまっていて、気がついたら、20階建てくらいの
 ビルの屋上の端に立ってたんです。自分が夢を見ているって言うのは分かった
 んですが、やっぱり足が竦んで動けなかったんです。そして後ろに下がろうと
 思った瞬間に横からいきなり『N君』という声が聞こえたんで、右に顔を向ける
 と先生がニコニコ笑って立ってらっしゃったんです。」
 
 「へー、それで?」

 「それで、ぼくが『先生、こんなところで何してらっしゃるんですか?』って
 聞くと、先生は『また飛び降りれないんだろう?もうこんなことやらなくて
 いいよ、俺の家に来て一緒に飲もうぜ。』とおっしゃいました。それで、ぼく
 も『それもそうですね。もうやらなくていいですよね。こんな怖いこと。』と
 答えて、後ろを振り返ろうとしました。その瞬間、先生がいきなり僕の背中を
 押されたんです。先生に不意を突かれて僕は屋上から落ちちゃったんですが、
 先生は落ちている間中僕の肩を抱えてくれてました。」

 「ふーーん。それで、落ちてる間はどんな感じだった?やっぱり怖かった?」

 「それが、飛び降りてみると、飛び降りる前はあれほど怖いと思っていたのが
 嘘のように気持ちがよかったんです。とくに体全体に感じる風圧が快感でした     
 ね。」
  
 
 「で、下についた時はどうだった。」

 「夢の中だって、わかってたんで、それも問題ありませんでした。足の裏にち
 ょっと衝撃を感じましたが、痛みは全然ありませんでした。降りた瞬間ビルの
 屋上を見上げて、『ヤッター!』と思いました。先生に御礼を言おうと思って
 周りを見回しましたが、もう先生の姿はどこにも見当たりませんでした。」
 
 「そうか。オメデトウ。それで来週からの稽古どうする?」

 「勿論出て来ます。なんか、約束組み手もうまくやれそうな気がしてきました。」

 「そうか、そりゃよかった。じゃ、また来週会おう。」

 「はい。」

 「じゃ、これで・・・」

 「先生!」

 「ん?」

 「夢の中で助けて頂いて有難うございました。」

 「いや、夢の中の俺は、現実の俺じゃないよ。多分、君の中に元々存在してい
 る賢者の象徴だよ。そんなことができたら、俺は今頃大聖者だ。ま、でもとも
 かくよかったな。来週君に会えるのを楽しみにしてるよ。」

 「はい、じゃ失礼します。」

 以上がその時二人の間で交された会話です。電話を切ってから、私はあることを思い出しました。前の晩、寝床でN君の顔が頭の中に浮かんだ時に、「N君にはやっぱり無理かもしれないな。これ以上やると彼を追い詰めてしまうことになるな。ここら辺で解放してやろう。最後にみんなでお別れの飲み会でも開いてやるか。でも、誰か躊躇っているN君の背中を押してくれる人がいれば、N君もここで諦めなくてもいいのに、勿体ないなー。」と考えていたのです。

 N君の夢に出てくる「私」の言葉や行動と私が寝床で考えていたことが奇妙なくらいに一致していたのには、我ながら驚きました。世の中には、不思議なことがあるもんです。
 

 そして、N君の稽古も夢も更なる展開を見せることになるのです。
 

 ああ、このシリーズ今日で終わる筈だったのにー(>_<)。なんか、ブログというよりインターネット小説もどきになってきて、私がこの話を書いているというより、この話が私を使って世の中に出ようとしているような感じです。とはいえこれは作り事ではなく、本当にあったお話ですが……。このお話、もうちょっと続きそうです。次回も、よろしくお付き合い下さい。それまで、ご自愛のほどを……。(*^_^*)



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武道の智恵 検  嵬瓦班霪察廰

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 今日は、「夢と恐怖心克服」というテーマでお話したいと思います。

 空手や拳法を教え始めて、暫くすると教授内容に少しずつ実戦的な要素が入ってきます。空手を例にとれば、約束組み手が初期のそれに当ります。それまでの立ちや運足、そして突き・受け・蹴りの基本、さらに移動稽古・演武型等の一人稽古に、実際に相手が前に立った状態での初歩的な技を使う練習が加わります。この初歩的な技を使う練習というのが約束組み手と呼ばれるものです。
 

 約束組み手は、元々沖縄空手の練習体系の中に無かったもので、和道流空手の創始者の大塚博紀先生が柔術の組み型を参考にして創り上げられたものです。
 

 組み手と言っても、その名の通り決まった型の攻防があるだけです。攻撃側は顔面なら顔面を決まった技で攻めると決めておき、防御側はそれを決まった受け技で受け、これまた前以て決められた技で反撃します。もしくは、構えて動かない相手に前以て決められた突きや蹴りなどの攻撃技を寸止めで仕掛けたりするものもあります。
 

 いずれにしても、ボクシングやキックボクシングのフリースパーリングと比べれば、ママゴトのような練習ですが、それでも、恐怖心の強い人にとってはかなり緊張感を伴う練習のようです。生まれつき怖がりの人や、過去にイジメや暴行の被害に遭った人たちは、約束組み手の練習が始まると指導者泣かせの道場生に変貌します。特に後者は、被害時の光景がフラッシュバックする人もいるようで、「大丈夫ちゃんと受けられるから」と何度言い聞かせても中々安心してくれません。

 以前このブログで紹介した韓国映画「パンチレディー」の主人公の女性がいい例です。映画の中で、ジムのコーチが自分に暴力を振るっていた格闘家のご主人の格闘シーンをパソコンで見せる場面があります。この時、彼女は鬼のような形相で試合の相手にパンチやキックを放っているご主人を見て気分が悪くなります。

 また、コーチが、ご主人の顔写真を張った人形型のパンチングバッグを相手に練習させた時も、彼女は恐怖のあまりご主人の顔写真から目を逸らしたままでしかバッグを殴れません。「パンチレディー」は、格闘技と恐怖心の関係について深く考えさせられる映画でした。
 

 この映画の主人公と同じような人たちは、恐怖心が先立つので、相手が前に立っているだけで基本通りに動くのがかなり難しくなるようです。基本の型通りに動けないので、逆に相手の攻撃が当たり易くなって危険なんですが、本人は防衛しているつもりのようです。私自身初心者の頃は、そうでした。
 

 他の打撃系格闘技のスパーリングと比べれば、ママゴトとしか思えないような約束組み手にすら、恐怖を感じて満足に動けないようでは、それから先のより実戦的な練習などできるわけがありません。様々な理由で恐怖心が強すぎる人は、ここで大きな壁にぶつかります。こんな時に有効なのが、整体と明晰夢の活用です。整体に関しては、「武道の智恵供廚望椽劼靴燭里任修舛蕕鮖仮箸靴討い燭世として、ここでは明晰夢の活用について述べさせて頂きたいと思います。
 

 夢の中で、「今自分は夢を見ている」と自覚出来る夢を「明晰夢」と呼びます。なぜこの手の夢を「明晰夢」と呼ぶのでしょうか?それは、自覚して夢の中で自分の意志を使い始めると同時に夢が、徐々にハッキリとした現実味を持ち始めるからです。夢の中で、物を触れば、覚醒時と同じように手にリアルな触覚が感じられ、食べ物を食べれば、舌にその味がハッキリと残ります。ここまで来ると、夢と現実の違いは殆どなくなります。まるで、アメリカ映画の「マトリックス」で描かれている世界のようです。
 

 今回は、武道と夢の関係についてのブログなので明晰夢の説明はこれくらいにして、話を戻させて頂きます。 
 

 中国拳法を修行していた私は、自分の被指導者を学生と弟子に区別しています。これは、中国拳法の伝統というか、シキタリみたいなものであります。学生には、表面的な型とその使用法のみを教え、弟子にはもっと深い技術や心の使い方を教えます。従って、私の流派では夢見や瞑想を教えるのは、弟子だけということになります。武道の深い部分を学び、極意を会得したいと希望する弟子には、夢身と瞑想が有効だと考えているからです。
 

 武道の極意を極めなくてもいい、ただ自分の身と家族を守れればそれでいいという一般の学生たちには整体だけを指導し後は自分で恐怖心を克服してもらいます。多少時間はかかりますが、学生たちは何とか怖さを乗り越えているようです。中には、そこでドロップアウトする人もいますが・・・。
 

 そして、弟子たちには初めから武道と夢見と瞑想を同時に指導します。恐怖心克服の問題は遅かれ早かれ出てくるし、その他の面でも夢見と瞑想は武道修行に有効だからです。
 

 人は皆顔や指紋が違うように、夢もその人独特のものです。夢の発展過程は各人で少しずつ違います。とは言え、大まかな一般性というか共通性は確かに存在するので、ある特定の人の夢の発展過程を知ることは自分の夢の分析や活用にも有効です。ここでは、以前に指導した一人の弟子を例にとって、夢見と恐怖心克服について述べてみたいと思います。
 

 彼の名は、N君と言います。(私の以前のブログ「因果の法則」に出てきたN君とは別人です。〉中学と高校時代に水泳と卓球をやっていたスポーツマンでしたが、こと格闘になると極端に臆病な人でした。また、彼は中学の時から、悪夢を見ることが多く大抵は夢の中で、気味の悪い化け物やヤクザに追いかけられるというものでした。私と稽古を始めてからも、しばしばそういう夢を見ると言っていました。
 

 夢の中に出てくる化け物やヤクザは、自分自身のダークサイドか自分自身の恐怖の象徴です。どちらにしても、こういう夢を見たら、夢の中で逃げずにこれらのものと向き合わなければなりません。

 稽古が始まってすぐに私は彼に、夜寝る前に、「今日は逃げずに、化け物だろうとヤクザだろうとしっかり向き合うぞ。」と自分自身に暗示をかけるように指導しました。暫くすると、彼は夢の中で、「自分は今夢を見ている」と自覚するようになりましたが、それでも恐怖心が先立つようで追いかけてくるものから相変わらず逃げ回っていました。最初は誰でも逃げ出すようです。私自身がそうでしたし、夢見を指導した人たちの全てがそうでした。例外は今まで一人もいません。逆に言えば、それほど恐怖心と言うのは克服するのが難しいものだと言えるでしょう。
 

 私との稽古が始まって半年間くらいは、彼の夢見はずっと上記に述べた様な状態のままでした。不思議なことに、半年が過ぎて約束組み手を指導し始めた当たりから、彼はこの夢を見なくなりました。その代わりに彼が見始めたのが、高層ビルの屋上や高い崖の縁に立っている夢でした。夢の中とは言え、胃のあたりから胸の上部に向かって冷感が上ってくるのが自覚できたそうです。この時も、夢の中だと自覚して、思い切って飛び降りるように指導しました。勿論彼が最初から、飛び降りることが出来なかったことは言うまでもありません。

 思ったより、長くなってしまいました。「夢と武道」は△能わる予定でしたが、そうもいかないようです。この続きは、でお送りいたします。それまで、皆様お元気で……。



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武道の智恵 検  嵬瓦班霪察廰

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  古今東西の芸術家や発明家たちの中には,夢からインスピレーションを得た人達が少なくありません。有名なところでは、シャーロック・ホームズを生み出した英国の小説家コナン・ドイルや「宝島」の作者スティーヴンソンなどがそうです。ビリー・ジョエルも夢からインスピレーションを得ていたと言われています。スティービー・ワンダーなんかもそうですね。
 

 アメリカの技師エライアス・ハウも夢の中でヒントを得て、ミシンを発明したと伝えられています。どうすれば、機械で物を縫えるようになるかを考えあぐねていた時、彼は夢を見ます。夢の中で彼は槍を持った土人たちに追いかけられています。彼が走って逃げていると、後ろから土人たちが槍を投げてきます。そのうちの一本が彼の頭の上を飛び越えて、彼の目の前の地面に突き刺さります。ふと見ると、その槍の中には一つの穴が開いていたのです。

 この夢にヒントを得て、彼はミシンを発明したそうです。
 
 こういう夢を示夢と呼びます。まず、意識の上で、疑問を持ち様々なデータを収集した上で、無意識に問いかけると無意識は夢や直観やヴィジョン〈覚醒時に頭の中に生き生きと現れる映像〉等を通じて答えを与えてくれます。
 

 武道の世界にも、同じような話は沢山あります。例えば、福岡県発祥の神道夢想流杖道の開祖である夢想権之助勝吉が、宮本武蔵に敗れた後、大宰府の霊峰宝満山にある竈門神社に祈願参籠して三十七日目に、夢の中に現れた神童から「丸木を持って、水月を知れ」との啓示を受け、神道夢想流杖道を創始したのは有名な話であります。近いところでは、極真会館空手の創始者である大山倍達(崔永宜〉先生が、山篭りの最中に夢でヒントを得て新しい蹴り技を編み出したとその著書の中で語っておられます。
 

 上記のように、夢は武道修行者に様々なヒントを与えてくれます。武道を修行していれば、様々な壁にぶつかります。師匠や先輩たちに指導を仰いでも解決案が得られない時があります。あるいは、他人の指導を受けられない場合もあります。こんな時、私は無意識に助けを求めます。すると無意識は直観や夢の中のメッセージを通じて、私の疑問に答えてくれるのです。
 

 以前、こんなことがありました。人に頼まれて、指導を始めた時のことです。それ以前は、型を教える時は既成の流派の演武型を教えていたのですが、その時は自分の動きがどの流派の型にもマッチしないことに気付いたのです。いろんな道場で見学させてもらったり、他の伝統流派の型のビデオなども随分見ましたが、どれも私の動きとはマッチしませんでした。自分で自分の型を創り上げねばならない時期にきていたのです。
 

 これは、ちょっとショックでした。それまでは、厳しい指導を覚悟しなければならないとは言え、教えてくれる人がいました。しかし、それからは全部自分で創造しなければならなくなったのです。
 

 初めは全くの手探り状態でした。組み手で使う自分の戦い方を一旦抽象化して型の中に具現化する作業は想像以上に大変なものでした。伝統型に学びながらも、それを猿真似することなく、自分独自の型を創りあげていかなければなりません。それは孤独な作業でした。
 

 既成の型を参考に、色々な型の断片を創ってみました。そしてその中で、一番いいものを採用し、その断片を有機的につなぎ合わせ新たな演武型の原型を創りました。そしてその原型の足らないところを補い、不要なところを削っていきました。そうして完成したのが「翔鷹〈大)」という型です。鷹の字を取ったのは私の拳法の動きが鷹系のものだったからです。
 

 この過程で、随分自分自身の無意識と対話しました。そして私の夢は、意識と無意識の弁証法的な対話へと発展していきました。
 

 先の様々な型の断片を創る時も、無意識は私に色々な型の断片を夢の中で提示してくれたのですが、その一つ一つを自分の体で実際に演じながら、自分の体が素直に受け入れない型や弟子が動きにくいと感じる動きは採用せず、適切だと感じられる動きを採用していきました。時には、無意識が提示してくれる動きのある部分に不満を感じて「もうちょっとここの部分を改善して欲しい」と意識で無意識に要求することもありました。そんな時、無意識は夢を通じて多少の修正を加えた動きや全く別の動きを見せてくれました。

 また、最後に型を修正するときも、無意識は足らない部分や削るべき部分を夢で指摘してくれました。
 

 今回は、型の創造における示夢の有効性について述べさせて頂きました。武道修行における示夢の有効性はこれだけではありません。組み手や秘伝などの分野においても示夢は力を発揮します。この点については、また別の機会にゆっくり書きたいと思います。

 次回は、夢と恐怖心克服の問題の関係について些か愚見を述べさせて頂きます。皆様、それまでお元気で・・・。

 

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