Pickpockets & luggage thieves in China

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  中国にいた頃、二度ほどスリを、一度置き引きを見た。ただ、スリの方は、見たというよりもポケットの中のものをスラれそうになったのだが・・・
 
 最初は、中国に行ったばかりの頃、大学の同僚とバスに乗り、二人で一番後ろの席に座っていた時のことである。その時は、私の右隣の席が空いていて、私は私の左側に座った女性の同僚の方に顔を向けて話し込んでいた。彼女と話始めて暫くした頃、前方に向かって左側の後部座席に座っていた男が、急に私の右側に移動してきた。
 
 瞬間的に彼の行動の不自然さを感じた私は、左側の席に座っている同僚と話しながらも、武道で鍛えた周辺視覚を使って、彼の行動をそれとなく監視していた。案の上、彼は、腕組みをしている右手を左手の下から、私の右側のポケットに、向かって伸ばし始めた。
 
 私は、彼の顔は一切見ることなく、私の右ポケットに伸びて来た彼の右手を上から見下ろして,ニヤーっと笑ってみせた。件のスリ君は慌てて右手を引っ込めた。
 
 すると後部座席に座っていた別の男が、彼に中国語で何かを言った。何と言ったのか,その頃の私はあまり中国語に堪能ではなかったので、聞き取れなかったが、どうも「降りるバス停が来たから、降りるぞ。」と言ったようだった。
 
 彼らは、二人してバスを降りて行った。恐らく、私の右ポケットから掏った物は、もう一人の男が受け取る手筈だったのだろう。スリというのは、スリの技術もさることながら、かなりの知能犯でもある。私が、左側に座った同僚と話しているところを狙ったのは、さすがである。
 
 左側に注意を向けていれば、当然右側に対する注意が疎かになることを彼らは、ちゃんと知っていた。
 
 二度目にスリにあったのは、軽軌(チングイ)と呼ばれる小型電車に乗った時のことである。私が右手で吊革に掴まっていると、私の右側に立っていた男が私の右ポケットに実に自然な感じで手を近付けてきた。
 
 最初の時と同じように違和感を感じた私は、右手に気を込めて彼が私のポケットに手を突っ込んでくる瞬間を待っていた。私が前方の景色に見とれる振りをしていると彼は、実に自然な感じでポケットに手を突っ込もうとした。
 
 今か今かと待ち構えていた私は、右腕の力を全て抜いて、彼の前腕にボトンと言った感じで落とした。こういう落とし方をすると、打たれた方はかなり痛い。彼は一瞬「ウッ!」っと言った感じで眉を顰めたが、あたかも次の駅で降りるかのような顔をして私から、これまた実に自然に離れて行った。
 
 こういう連中は、プロである。プロは窃盗の技術ばかりでなく、逃げ方もうまい。失敗したり、危ないと感じた時は、自然に、実に自然にその場から離れていく。
 
 
 私が、友人たちと一緒に上海に旅行した時に見た置き引きもそうであった。
 私たちが、上海空港に着くと、そこで迎えに来てくれているはずの友人がいない。電話を掛けてみると、彼は違うターミナルで私たちを待っていた。すぐ私たちのいるターミナルに来てくれることになったので、私たちは、荷物を床に置いて彼が来るのを待つことにした。
 
 私たち一行は三人連れだった。一人が、トイレに行った。彼がトイレに入った途端に私もトイレに行きたくなった。連れの女性に「私もトイレに行ってきます。」と断ってその場を離れようとした。
 
 するとそれまで床に置いた私たちの荷物の方を向いていたその女性が、くるりと荷物に背を向けて携帯電話で友人と話を始めたのである。それを横目で見ながら、私はトイレの方に向って歩き始めたが、どうしても彼女の不用心な行動が気になって仕方がなかったので、トイレに向かう途中で、何気なく彼女の方を振り返った。
 
 私が予想したとおり、私たちのすぐそばに並んでいた人の列から、旅行者風の服装をした男が我々の荷物を見ながら、近づいているのが見えた。私が、足を止めて彼を見ていると、その男は私の視線に気づき目をあげて一瞬こちらを見たが、すぐに何気ない仕草で元の旅行者の列に戻って行った。
 
 私は、トイレには行かずにすぐにその場に戻り、今し方見たことを彼女に告げて、決して荷物に背を向けたりしないように注意した。
 
 中国には、ホントにスリや置き引きが多い。私の以前の同僚は、靴屋で靴を椅子に座って試着しようとして、自分のバッグを横に置いて一瞬目を離した隙に盗まれた、と言っていた。彼女は自分の左側をほんの一瞬見ただけである。
 
 因みに盗まれたのはブランドものの20万円ほどするバッグである。しかも、現金・カード・携帯電話が入っていたのでその後が大変だったらしい。かなり鮮やかな手口なので、もしかしたら店の人間もグルだったのかもしれない。
 
 私が大学で教えていた学生は、満員バスに乗って自分の傍でイチャツイていたカップルに目を奪われたいた隙に、肩に掛けていたバッグを刃物で切られ、携帯電話と財布を盗まれたと言っていた。まさに油断大敵である。また、ある日本語教師は、中国に来たばかりの頃、バスから降りて尻ポケットから財布を出そうとして、ポケット自体がないことに気がついた。バスの中で、スリにポケットを切り取られたのである。
 
 こういう例は、枚挙に暇がない。初めて海外旅行に出かけられる方々は、十分ご注意なさるべきである。



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内モンゴルへの旅

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(2009年9月5日 現在)
 七月初めに内モンゴルに行ってきた。夜行列車に乗って、ハイラルまで行き、そこから知り合いの車でフルンベールや満州里まで足を伸ばした。知り合いは、地元で手広く不動産業を営んでいて、普段から車で遠距離を移動していた。

 途中見える景色は、日本では絶対目にできないものだった。果てしなくどこまでも続く大草原、遥か彼方に見える地平線、その地平線の上まで何層にも重なっている灰色の雲、そして上空から漏斗を上下に伸ばしたような形で大地に接するように垂れ下がっている細い雲。どれ一つとっても、息を呑むような風景だった。ああいう風景を見ていると人間はホントにチッポケだなと思わずにはいられなかった。
 

 ロシアとの国境にも行って来た。地元の人の話によると、本来外国人は入れないとの事だったが、そこはコネの国=中国である。警察や政府のお役人とのコネもある知り合いのお陰で、国境を見物することができた。国境と言っても、膝の高さくらいの木製の柵があるだけで、銃も携帯していない警備兵が一人立っているだけなので緊張感はあまりない。皆、「中国」と書いてある石の標識の前で写真を撮っている。私も標識の前で一緒に来ていた同僚に写真を取ってもらった。

 また、中国側とロシア側にまたがっている鉄道の線路の上を跨ぐように建っているコの字型をした巨大な建物の最上階まで上り、望遠鏡でロシア側の町を覗いてみたが見えるのは建物と停まっている車両ばかりで人影は全く見当たらなかったので少しがっかりした。生まれて初めて国境と言うものを見たが、あれを見て国境と言うのは人間が勝手に作ったもので地球の上には元々そんなものはなかったのだという事を悟った。中国側とロシア側を自由に行き来している鳥や虫たちにとっては、国境なんて存在していないのも同然である。いつの日か、国境と言うものがこの地球上からなくなることを願いつつ私は国境を後にした。

 

 さて、観光していない時は、街中に戻って昼食や夕食の時間だったが、これがかなりの苦痛だった。モンゴル族の習慣で、お客さんを歓待するのはアルコール度40から50度(ときどき60度以上)くらいの白酒でと決まっていて、これを食事の度に飲まされた。まず、必ず白酒をコップ2杯は飲まなければならない。飲まないと地元の人たちはとても不機嫌になるので、飲まないというわけにはいかない。それから、一人ひとり順番に挨拶が始まり、その度にビールを一気飲みである。私も一緒に行った同僚も酒は決して弱い方ではないが、二人とも4泊5日の旅の間、一度だけかなり激しく嘔吐した。あれだけ飲まされれば、当然である。
 

 私たちが、更に驚いたのは、昼間から飲んでいる人たちは皆仕事を抜け出して来ていたことであった。ある人は満州里から北京までの列車の運転手さんだったが、制服のまま飲んでいた。地元の警察署長さんもいた。私が「仕事中、飲んでていいんですか?」と聞くと、皆異口同音に「私たちの地位は高いので、何でも好きなようにできるのです。」と答える。日本でこんなことをすれば、大問題だが、ここは中国である。私たちを歓迎してくれるために、わざわざ仕事を抜け出してくれたのだから、感謝しなきゃ、と思い直す。
 

 地元の人たちとの飲みごとはかなり疲れたが、一つだけうれしいことがあった。地元の湖で取れた魚の鍋に舌鼓を打って居る時に、一人の漢族の男性が後からやってきた。一緒に食事をしていたチンギス・ハンの末裔だという元警察官の方が、その漢族の男性を私たちに紹介してくれた。彼は、お父上が日本人でオバア様が朝鮮族だという。

 私の父は、純粋の日本人だったが、朝鮮半島生まれである。その影響で、私自身、朝鮮語を少し話す。お互いのそういうバックグラウンドのせいか、彼とは会った瞬間から、互いに通じ合うものを感じた。彼は中国語を話し、朝鮮語を少し理解でき、私は朝鮮語を話し、中国語を少し理解できるので、二人は通訳を交えず、中国語と朝鮮語で語り合った。人間同士心を通じ合うのに、言葉はあまり関係ないのかもしれない。時々相手が知らない単語を使っても、お互い何を言っているかよく理解できたからである。
 

 また、機会があれば、是非内モンゴルに行ってみたいと思っている。
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香港旅行記 14  ― 再び中国へ

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  広州の空港で、入国手続きである。飛行機を降りて、空港内の建物に入ると「瀋陽」と書いたワッペンを胸に貼ってくれる。香港に来た時と同じだ。

 みんなについて歩いて行くと、入国審査らしきところに行列が出来ているので、私も並ぶ。すると、前に立っている人たちは、皆、手に入国カードを持っている。そう言えば、飛行機の中で、客室乗務員のお兄さんが、入国カードをくれた。そのとき、ちゃんと記入したのだが、どこを捜しても見当たらない。

 バックパックをゴソゴソやっていると、私の前にいた白人のカップルが、「カードを失くしたのかい?あそこにあるから、取っておいでよ。」とホールの端にあるカウンターを指差して教えてくれる。礼を言って、走ってそこまで行き、そこに置いてあったボールペンで、急いで記入して、列に戻る。

 戻って来ると、殆ど人はいなくなっていて、私が最後だった。入国審査の人にパスポートとカードを渡すと、「このカードじゃないんだけど、まあ、いいや。入っていいよ。」と気軽に言ってくれる。私みたいなオッチョコチョイの外国人旅行者には、慣れっこになっていたんだろう。ともかく、無事中国に再入国できて、ホッとする。

 再び、前を歩いている人たちについて行く。セキュリティーチェックを受ける列に並ぶ。ふと前を見ると、先ほどの白人夫婦がいたので、話しかけてみた。

「どちらの国の方ですか?」

「イギリスだよ。」

「中国には、ご旅行ですか?」

「いや、仕事で。師範大学で、化学の講師をすることになってるんだ。」

「そうですか。どちらのキャンパスですか?」(師範大学には、二つのキャンパスがある。)

「自由大路の方よ。」

「それは、奇遇ですね。私も、自由大路のすぐ近くの語学学校で、一年間中国語を学んでました。」

 それから、少し打ち解けて、彼らと暫く世間話をした。イギリスの景気も、かなり悪く、失業率もかなり高いと言う話だった。かく言う彼らも、イギリスで失業したので、こちらに来たと言う。

 荷物と身体のチェックが終わり、再び、飛行機に乗り込んだ。離陸して、すぐ機内で夕食が出た。久し振りに食べるまともな食事だった。久し振りに食べるまともな食事が機内食と言うのも、情けない話だが、仕方がない。感謝して頂く事にする。

 話が前後するが、私の右隣に座った中年女性二人は、香港の人のようだった。スッチーのおネエさんが話すスタンダード・チャイニーズが、理解できないのには少し驚いた。おネエさんの言う「お飲み物は、何になさいますか?」とか「お魚とお肉、どちらになさいますか?」などという簡単な質問が全く理解できない。仕方が、ないので、私が通訳を買って出る。スッチーのおネエさんは、相手がどう見ても中国人なので、英語で話そうと言う発想にならないらしい。私は、おネエさんと中国語で話し、二人の香港人とは英語で話す。日本人である私が、中国人同士の会話を通訳しているのは、まことにもって妙な感じである。

 食事を終えて、暫くすると、となりのオバちゃんたちが「暑い。」と言い始めた。確かに、機内は、暑かった。客室乗務員のお兄さんに苦情を言うと、「温度を下げる事は、できません。他の席のお客さんたちから、寒いという苦情が沢山出ているからです。」とのにべもない返事である。それを、オバちゃんたちに訳すと、仕方ないわねと言う顔をする。

 ついでに、到着時にシャトルバスが、まだ走っているかどうかを尋ねてみると、「残念ながら、もうバスは、ありません。タクシーで帰って下さい。」とのことである。

 それから、暑さを我慢して、一寝入りした。目を醒ますと、飛行機は下降を始めていた。やっと、瀋陽に着いたようだ。着陸して、飛行機を降りるとき、出口でスッチーのおネエさんにも、聞いてみたが、やはりバスはもうないとのことである。ヤッパリ、大枚はたいて、タクシーで帰るしかないのか?時刻は、既に12時半を回っていた。

 一昨年、上海から帰って来た時の嫌な経験を思い出す。あの時、飛行場の前で拾ったタクシーの運転手は、途中でメーターを上げて、法外な料金を要求しようとした。ああ、イヤだ、いやだ。実は、私の住んでいる街は、中国一タクシー運転手の質が悪い事で有名なのだ。

 ベルトコンベヤーで流れてきた自分のスーツケースを回収し、ホールに出ると、玄関前にバスが何台か停まっていた。カウンターに行って、「市内に行くバスは、まだ走っているのか?」と聞くと、「走っている。」との答え。じゃあ、客室乗務員たちのあの情報は何だったんだ?全く、人騒がせにも程がある。料金は、タクシーの約八分の一ほどである。早速、チケットを購入して、乗り込む。

 一時間ほど走り、シャトルバスの発着所である民航賓館ホテル前に着く。バスを降りると、待ってましたとばかりに、タクシーのウンちゃんたちが、食べ物に集るハエのように寄って来て、「どこまで、行くんだ。俺の車に乗っていけよ。」と口々に言い始める。一番近くにいた若い運ちゃんに「自由大路だ。知っているか?」と言うと、キョトンとした顔をする。私の、中国語が理解できなかったのかと思い、もう一度「自由大路だよ。知らないのか?」と言うと、「知らないけど、ともかく乗れよ。50元だ。」と言い放つ。

 道も知らないくせに、50元とは、随分吹っかけてくれる。そこから、私のアパートまでは、せいぜい15元程度しかかからない。大方、よその土地からの旅行者だとでも思ったんだろう。私は、「50元?バカ言ってんじゃねえよ!」と吐き捨て、別の場所でタクシーを拾うために、歩き始めた。

 歩き始めると、すぐにタクシーが私の横に停まり、「どこまで行くんだ?」と聞いてくる。私が、「自由大路まで、いくらくらいだ?」と聞くと、「ちゃんと、メーター倒すから、乗れよ。」と言ってくれる。今度は、良心的な運ちゃんのようだ。

 乗り込むと、随分人懐っこい人のようで、色々と話しかけてくる。

「お客さん、中国語に訛りがあるみたいだけど、南方の人かい?」

「いや、俺は日本人だよ。」

「ああ、日本人か。かなり大きな地震があったみたいだけど、あんたの家族は大丈夫か?」

「ああ、俺の故郷は、被災地から、かなり離れてるんで、大丈夫だよ。」

「そうか。それは、よかった。中国と日本は、過去色々あったけど、それは政府同士の問題で、民間レベルじゃあ、これから 仲良くやっていけると俺は思ってる。」

 かなり気のいい人だったので、最後の最後にかなり気分がよくなる。アパートの部屋に戻った時、時計の針は、午前二時前を指していた。こうして、ハプニングと不安続きの私の香港旅行は、やっと幕を閉じたのである。

 シャワーを浴びて、ベッドにもぐりこんだ私は、長旅の疲れから深い深い眠りに落ちて行った。
 

 

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香港旅行記 13  ― 香港の夜景

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  搭乗ゲート近くで、例の如くマンウォッチングと読書をしながら、時間を潰す。ふと目を上げてみると、人の顔写真の横にその人のモットーらしきものが書いてあるポスターが、何枚か張ってあった。その中で私が一番気に入ったポスターには、

 「私は、どこに行く時も、ペンとノートを持っていく。これらは、故障する事もないし、電池切れになることもない。」

みたいな文句が書いてあった。気に入ったので、中国に帰ったら、それを実行する事にする。何もすることがなく、ただボーっとしていた時に、いいアイディアが浮かぶ事が、よくあったが、筆記用具やノートパソコンを持ち歩く習慣が無かったので、これまで多くのアイディアが、私の頭に浮かんでは、むなしく消えていた。

 このポスターに出会えただけでも、香港に来た甲斐があったというものだ。

 トイレに行きたくなったので、トイレを探して建物内の反対側まで歩いていく。用をたして、トイレを出ると、展望台の案内があったので、ついでに行ってみる事にする。かなり驚いた。香港国際空港は、瀋陽の空港とは比べ物にならないくらい広かった。再び、香港に来ることを心に誓って、その光景を心に焼き付けた。

 搭乗時間を既に過ぎていたが、まだ搭乗できない。日も傾きかけた頃、やっと搭乗が始まった。飛行機に乗り込んで、暫くすると、機荷物の積み込み時間が予想以上に長引いたため離陸時間が、一時間近く遅れてしまったことへのお詫びの機内アナウンスが聞こえてきた。

 まずい。瀋陽への到着時間が遅れると、市内に帰るバスが、走っていない可能性が高くなるからだ。あとで、スッチーのおネエさんに、尋ねる事にする。

 離陸した飛行機は、大きく機体を傾けながら、中継地点である広州に向かう。傾いた機体から見える香港の夜景は、素晴らしいものだった。私の隣に座っていた高校生くらいの女の子は、勝手に安全ベルトを外して、夜景がよく見える窓の方へと移動して行った。彼女が、規則を破ってまで、そうしたくなる気持ちは、よく理解できた。本当に息を呑むほどの美しさだった。まるで、宝石を散りばめたようだ。

 国境を越えて、広州に入ると、景色はごく平凡なものに戻る。飛行機は、来た時と同様に、すぐに降下を始め、広州の空港に着陸した。

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香港旅行記 12  ― 待ち時間

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 とりあえず、香港ドルを人民元に換金しないといけない。トラベレックスが、どこにあるかわからなかったので、日本語で日本人の客に案内していた日航職員に尋ねる。その人は、丁寧に教えてくれた。初めて訪れた異国の地で、日本人と話したので、少しホッとする。

 それから、空港ロビーのソファーに座って、ミネラルウォーターをバックパックから取り出して飲んだ。液体を飛行機内に持ち込めないので、搭乗までには、飲み干してしまわないといけない。

 それにしても、香港は、ホントにインターナショナルだ。まるで、人種のサラダボールである。あらゆる人種・民族・言語が溢れている。最初に、私の横に座っていたのは、フィリピンの人たちだった。それから、韓国人が大挙してやって来た。次に、やってきたのは、アメリカかカナダのビジネスマンだった。まるで、スタートレックの世界にいるようだ。

 腕時計を持っていない私は、隣に座ったアメリカ人と思しきビジネスマンに時刻を尋ねた。まだ、2時だった。些かうんざりであるが、仕方がない。トイレに行くついでに、また本屋に寄って、フリッチョフ・カプラの本を立ち読みした。これは、結構面白かったので、暫く読書に没頭していた。

 また、ソファーに戻って、隣に座っていた中国人のオバアチャンに時刻を聞く。彼女は、何も言わず、黙って腕時計を見せてくれた。まだ、3時だった。それから、「マスターの教え」を読んだり、マンウォッチングをしたりして、何とか時間を潰した。隣に座っていたオバアチャンは、いつの間にかいなくなっていた。電子掲示板の前に立っていた空港職員らしい可愛い女の子に、時刻を尋ねる。「時刻は、ここに出てますよ。」と掲示板の右隅を指して教えてくれる。もうすぐ4時だった。

 南方航空のチェックインカウンターに行き、搭乗時間を尋ねると4時半とのことだった。まだ、30分以上ある。ソファーに戻り、暫く瞑想する。15分ほど瞑想して、目を開け、私が通るべき搭乗ゲートに人が入り始めている。早速、カウンターまで行ってチェックインを済ませ、ゲートを通って、中に入る。どうも来た時とは、違うターミナルにいるようだと、やっと気付く。

 近くにいた職員に、どうやって飛行機に乗るのかを尋ねると、3階に行ってくれとのことだった。「え?上に行くの?」と私が聞くと、下を指しながら、「ここから、三階下に行ってください。」とのことである。

「香港に来た時は、空港から、地下鉄みたいなものに乗って、入国手続きをする所まで、来たんだけど、帰る時は、違うんですか?」

「はい、違います。」

「じゃあ、どうやって、飛行機に乗るところまで行くんですか?」

「下から、バスが出ますから、バスに乗って下さい。」

 「なるほど、今度は、バスか」と、妙に感心する。下に下りてみると、そこはバスターミナルになっていた。自分の乗り込む便の名前が表示してある所から、バスに乗り込み、空港内にある別のターミナルまで行き、搭乗ゲート近くのイスに座る。

 

 

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香港旅行記 11  ― ヴィザ取得

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 翌日は、キャシーの試験日だったので、話を早めに切り上げて、彼女は帰って行った。

 私は、またいつものように、ミネラルウォーターとソーセージ、そしてパンだけの夕食を摂り、シャワーを浴びて、メールを書き、本を少し読んでから床に就いた。

 翌朝、試験が終わったキャシーがホテルまで迎えに来てくれた。私が、

 「試験は、どうだった?」

と聞くと、

 「最悪だったわ。」

との答えである。もしかしたら、私が来た事で、彼女の受験に悪影響を与えてしまったのではないかと少し申し訳ない気持ちになった。

 二人で、旅行代理店に行って、パスポートを受け取り、ヴィザを確認する。念願の就労ヴィザがやっと取れた。これで、また中国で仕事が出来る。ついでに帰りの飛行機のチケットも購入する。前よりも少し割高になっていたが、列車で帰るのは面倒だと梁君が言ったので、購入する。翌日の夕方の便だった。

 翌朝、キャシーは、チェックアウトする私を見送りに来てくれた。すぐ近くのバス停まで案内してくれる。彼女に借りていた携帯のカードを返し、丁重にお礼を言って、分かれた。必ず、香港に戻って来て、彼女に恩返しをすることを心に誓う。

 空港行きのデッカーバスが来たので、乗り込む。分かれる直前に、キャシーが「香港国際空港には、ターミナルか二つあるから、間違えないように気をつけて。」と私に言ったので、少し心配になる。バスに乗ってから、横に座っていたオバサンに英語で聞くと、彼女は英語が理解できないようだった。中国語に切り替えてもう一度聞こうとしたら、彼女は横に座っていた若い女性に広東語で何かを言った。すると、その若い女性は、流暢な英語で

 「どちらに行かれますか?」

と聞いてきた。私が、

 「中国です。」

と答えると、

 「ああ、それじゃあ、私たちと同じターミナルです。着いたら、お教えしますから、心配し
 ないで下さい。」

と言ってくれた。どこに行っても、親切な人はいるもんだ。最初に着いたターミナルが、行くべきターミナルだったようで、彼女が

 「ここですよ。」

と教えてくれる。私が、

 「あなたも、中国に帰るんですか?」

と聞くと、

 「いいえ、私たちはマレーシアに行きます。」

との答えだった。彼女は、空港ロビーに入って、親切にも私が行くべきチェックインカウンターの場所まで指差して教えてくれた。丁重に礼を言って、彼女と別れた。時刻は、ちょうど正午である。ロビーのイスに腰を下ろして、夕方まで何とか時間を潰す事にした。



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香港旅行記 10  ― 北京語と広東語

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  3時少し過ぎに、キャシーがKFCにやって来た。お茶を飲みながら、取り留めのないお喋りをする。

 4時少し前に、ホテルの管理人から電話があり、今入ってもいいと言う。すぐにホテルに戻り、もらったインターネットのコードを打ち込み接続できるかどうかを確かめる。無事接続できるようだ。

 キャシーと私は、ホテルの部屋で、いろんな事を話した。梁君と同様に、彼女も元々は、深圳の出身である。お金とコネが、あらゆる面でモノを言う中国の社会に嫌気が差して、チャンスを求めて、香港にやって来た。同じ広東語圏でも、深圳と香港では、全く違うと言う。何より、実力さえあれば、上へ上っていくことのできるのが、香港だと。

 そうかもしれない。中国本土は、一部の特権階級だけが甘い汁を吸っており、よほどのチャンスかコネに恵まれない限り、貧しい人は一生貧しいままである。

 日本とは、また違った意味での息苦しさを感じる中国から香港に来ると、大陸では感じる事のできない自由な雰囲気に満ちているのを感じる。キャシーは、そんな香港がホントに気に入っているようだ。大陸と香港の居住権の両方を持っているという。私が、

「中国には、帰らないのかい?」

と聞くと、

「帰らないわ。こっちの方が、性に合ってるのよ。あなたも、香港で仕事を見つけなさいよ。」

と言う。

「そうだね。そうしたいけど、こっちは、物価が中国とは比べ物にならないくらい高いからね。」

「物価も高いけど、給料も高いわ。中国で働いても、大したお金にならないでしょ?」

 確かに、彼女の言うとおりである。3年間大学で一生懸命働いて、溜まったお金は、日本円にすると、たったの80万である。貨幣価値が、全く違うのである。

 因みに、中国東北部でのタクシーの基本料金は、最近一元上がったとは言え、たったの6元=約80円である。かなり、大きなスイカが、80円くらいで買える。真夏だと、もっと安くなる。

 日本に帰るときの事を考えたら、香港で働いて、お金を貯めてから帰るのも悪くない。彼女の提案も真剣に考える事にした。
 

 それから、二人は、言葉の事を話した。もし、香港に来るなら、広東語も学びたいが発音が難しいと私が言うと、キャシーは、広東語の方が元の中国語に近いと言った。中国人が北方に移住するにつれて、中国語が変化したのだと言う。

 キャシーの言っている事が、学術的に正しいかどうかは、素人の私にはわからないが、中華人民共和国ができた時、北京語をベースにした標準語を採用するか、それとも広東語にするか、会議を開いて話し合ったと聞いたことがある。そのとき、多数決で決める事になっていたが、たまたま広東語推進派の人がトイレに立ったため、僅差で北京語ベースの標準語を作る事になったとのことである。

 その時、トイレに立った人に感謝したい。標準語の声調(音節の高低昇降)は、四声であるが、広東語の場合は、六声である。四つだけでも、四苦八苦しているのに、六つもあったらたまらない。もし、広東語が、中国の標準語になっていたら、今の私の中国語は、もっと低レベルのままだった事だろう。

 

 

 

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香港旅行記 9  ― 言語は身を助く

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 翌朝も、近くのコンビニまで、一番安いサンドイッチを買いに出る。

 今日は、何もすることがない。買い物から、帰ってくるとホテルの管理人のオバちゃんが、「あなたが泊まっている部屋は、予約が入ってるから、午前11時までに、チェックアウトして、上のホテルに移って。上のホテルの人には、連絡してるから。」と私に言う。

 因みに、彼女の使っている言葉は、広東語ではなく、スタンダード・チャイニーズ(普通話)である。ホテルで仕事をしている以上、英語か普通話を話せないといけないのだろう。聞くと、英語は全く話せないという。一年間、まがりなりにも中国語を学んでいて、ホントによかった。異国の地で、言葉が全く通じないとかなり大変である。

 10時半ごろ、サッとシャワーを浴び、パンと例の超不味いソーセージを食べる。11時にチェックアウトすると、オバちゃんは、上の階にある少し部屋代の高いホテルまで私を連れて行ってくれた。少し高いだけあって、部屋も少し綺麗だ。ただ、客がチェックアウトしたばっかりなので、すぐ部屋に入れないと言う。午後4時に来てくれと言うので、ホテルの入ったビルを出て、ビルの隣にある公園に行ってベンチに座った。

 ベンチの背にもたれて、暫く瞑想した。ふと、目を開けると、二人の男性と一人の女性が目の前で八卦掌を練習している。大陸や香港では、別に珍しい光景でもなんでもないので、公園にいる人たちも道行く人たちも、全く関心を示さない。

 他にすることもないので、私も練習することにした。どんな時にも、どんな所にいても、どんなに気分が落ち込んでいても、鍛錬は欠かさない。中国に来てからも、練習を続けているナイハンチ初段を二回練習した。公園にいる人たちが、無関心でいてくれるおかげで、型の演武に集中する事ができた。この型は、実に簡単な型であるが、一生かかっても極め尽くせないと言われている型である。私自身、未だに新しい発見をする型でもある。

 型の練習を終えて、またベンチに座った。顔を上げて、空を見る。香港のビルの谷間から見上げる夏の空は、抜けるように明るく美しい。

 携帯で時間を確認すると、まだ、12時ちょっと過ぎだった。これから、4時まで、時間を潰さないといけない。些かウンザリした。いつまでも、公園のベンチに座っていても、退屈なだけなので、近くにあるKFCに入って、一番安いお茶を飲みながら、日本から持ってきたジョン・マクドナルドの「マスターの教え」を最初のページから読み始める。この本も、さきほどの空手の型と同様に、簡単な言葉で、簡単に書いてあるが、奥の深い本である。読めば読むほど、理解が深まっていく。

 マスターの言葉に深く入り込んでいると、携帯電話が鳴った。

 「リュウ、キャシーよ。今、どこにいるの?」

 「今、KFCで本を読んでるよ。」

 「ホテルの近くのKFCね。」

 「ああ、あんまり遠くに行くと、迷子になちゃうからね。」

 「退屈でしょ?3時半頃、そっちに行くから、KFCで待ってて。」

 「オーケー」

 試験勉強で大変なはずなのに、ホントに優しい人だ。3時15分頃、キャシーがKFCまでやって来た。



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香港旅行記 8  ― ヴィザの申請

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 疲れていたのか、私は9時過ぎから翌朝の8時半まで、泥のように眠った。タップリ睡眠を取ったので、翌朝は、かなり爽快な目覚めだった。シャワーを浴び、キャシーに教えてもらったコンビニで、一番安いサンドイッチとミネラルウォーターを買って来て食べる。

 昼は、何もすることがないので、ボケーッとテレビを見たり、日本にメールを打ったり、めいこさんのブログ記事に書き込みをしたりして過ごす。昼食は、中国から持って来たパンとソーセージのみである。このソーセージが、恐ろしくマズイ。

 昼食を摂ると、眠くなったので、昼寝をする。目が覚めたのが、15時半頃だった。

 16時過ぎにキャシーが、ホテルまで迎えに来てくれるので、身繕いをし、彼女が来るのを待つ。

 16時ちょっと前に、キャシーが貸してくれた携帯に「これから、そちらに行く」との連絡が入る。16時15分頃、彼女が、やって来た。彼女は翌々日には、ビジネス能力検定試験を控えている。彼女にとっては大事な時期に、こちらの勝手な都合で面倒を掛けるのは、本当に心苦しい。

 ヴィザ申請の代行業務をやってくれる旅行代理店は、ホテルから歩いて5分ほどのところにあるとのこと。二人で、歩きながら、旅行代理店に向かう。途中、キャシーの知り合いが、彼女に挨拶して、我々とすれ違って行く。彼女は、すっかり香港に馴染んでいる感じだ。

 旅行代理店に着き、ヴィザ申請の代行業務依頼の手続きをする。通常の手数料は、それほど高くはないが、急ぎで発行してもらうためには、更に割り増し手数料を1000ドル近く払わないといけないと言われる。キャシーは、

 「多少お金が掛かっても、急ぎでやってもらった方がいいわ。通常の手続きだと、4、5日
 掛かるから、ホテル代が余計に掛かるわよ。」

とアドヴァイスしてくれた。こんな時、お金が無いとホントに困る。しかし、選択の余地はない。帰りの飛行機代が出るかどうか非常に不安だったが、急ぎでやってもらうことにする。

 手続きは、無事終った。ビザは、二日後に発給されるとの事だった。手続きを終えたのは、16時50分だった。ヴィザの代行業務は、17時までである。ギリギリで、手続きを終えることが出来たのは、ラッキーだった。

 ついでに、飛行機の切符も購入しようとしたが、窓口のおネエさんが、

 「必ずしも、明後日、ヴィザが発給されるとは限りませんから、今チケットをご購入な
 さらない方が、よろしいですよ。もし発給されなかった場合は、キャンセル料が掛かり
 ますから、お金を無駄使いなさることになりかねません。

  チケットは、ヴィザ取得後に、購入なさった方が、よろしいと思います。」

と親切に言ってくれる。正直言って、翌々日には発給されるという直観があったが、プロの指示には従う事にする。

 旅行代理店を、出てキャシーが、ファーストフード店に入ろうと私を誘ってくれたが、

 「お金がないから、ホテルで水とパンの夕食を摂るよ。」

と言って、断る。お金の事もあったが、彼女の試験勉強の邪魔もしたくなかった。

 ホテルに戻り、食事を摂り、シャワーを浴びてから、日本にいるガールフレンドにメールを打つ。「今、香港にいるのね。頑張って。」との返事である。彼女からの返事で少し元気が出る。

 しばらくすると、翔君がスカイプで、連絡を取ってきたので2時間ほどチャットする。インターネットは、こんな時、ホントに有り難い。接続さえできれば、地球上どこにいても、連絡したい人と連絡が取れる。

 翔君とのチャットを切り上げると、急に眠たくなったので、床に就く。明日は、一日中何もすることがない。
 


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香港旅行記 7  ― 長い一日の終わり

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  キャシー王さんは、20代後半の美しいビジネスウーマンである。お互いに、名刺を交換して、英語で挨拶を交わす。

 ひとまず、王さんが予約してくれたホテルにチェックインする事に。ホテルに着き、チェックイン。無線インターネットのコードナンバーを入力し、ネットに接続できるかどうかを確かめ、荷物を置いて、三人で夕食を摂りに外へ出る。

 入ったところは、広東料理のお店である。値段を見ると、中国では考えられないほど高い。どれにしようかと迷っていると、梁君が「今日は、彼女が払いますから、安心して何でも食べて下さい。」と言ってくれる。彼女には、いつか必ずお礼をしようと心に誓い、お言葉に甘える事にする。

 私たちの隣に座っているカップルは、日本語で話している。明らかに日本人のようだ。更に離れたところにも、5,6人の日本人が座っていた。梁君が、

 「同じ日本人でしょう。話しかけないんですか?」

と聞いてくる。外国で母国の人に会ったんだから、話しかけるのが自然だと考えているらしい。中国人は、中国にいても、知らない人といきなり話し始める。こんなところは、日本人と中国人の違いだろう。いくら外国で懐かしい日本語を耳にしたとしても、知らない人には、さすがに話しかけにくい。

 食事は、美味しかったように記憶しているが、これからどうやって、梁君や会社に借りたお金を返そうかと考えていたので、心ここにあらずで、あまり楽しめなかった。せっかく香港に来たのに、勿体ないとは思ったが、もともと観光で来たわけでも、来たくて来たわけでもないから、楽しめるわけがない。そんな私の様子を見て、梁君は

 「先生、何を考え込んでいますか?」

と心配してくれる。

 「いや、これから、どうやって君や会社にお金を返そうかと考えたんだよ。」

 私の状況を知っている梁君は、何も言わなかった。いつか、お金が出来たら、王さんへのお礼方方、また香港に来て、ユックリこの地を観光したい。

 食事を済ませると、時計は既に9時を回っていた。梁君は、列車で深圳まで戻らないといけないので、店を出るとすぐ、私たちに別れを告げ、走って駅に向かった。

 王さんは、私をホテルまで案内してくれるついでに、ホテルの近くにあるファースト・フード店とコンビニのある場所も教えてくれた。翌日、二人でヴィザ申請を代行してくれる旅行代理店に行く事を約束し、ホテルの前で、王さんと別れる。

 こうして、私の長い一日が終った。



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香港旅行記 6  ― 九龍ストリート

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 Travelexで、人民元を香港ドルに監禁し、梁君と二人でバスターミナルへ向かう。ターミナルに向かう途中で、梁君が、どうしても分からないと言う顔で、私に言った。

「先生は、大学を辞める必要はなかったんです。どうして、辞めたんですか?」

 安定した大学での日本語教師の職を捨てて、何故わざわざ不安定な留学生の立場になったのか、梁君は理解できないらしい。

「俺は、自由が好きなんだよ。あんな共産党の管理でがんじがらめにされた大学にいつまでもいたくなかったんだよ。」

「シッ!先生、そんな事言っちゃだめですよ。」

「大丈夫。ここは、中国じゃない。香港だよ。それに、今周囲には誰もいないし、たとえいたとしても、日本語が分からないと思うよ。」

 こんな事を話しているうちに、ターミナルに着いた。一番手前のスポットが我々の乗り場らしい。待つほどの事もなく、すぐにバスはやって来た。

 外は、すっかり暗くなっていた。早朝に出発してから、晩方にやっと香港に到着した私は、かなり疲れていた。勢い、口数も少なくなる。

 そんな私が、落ち込んでいるように見えたのか、梁君は、

「先生、どうして、そんな元気のない顔をしてますか?」

と気を使ってくれ、ちょっと前に起きた温州の高速鉄道追突脱線事故をネタにした笑い話を聞かせてくれた。ちょっとブラックな笑い話だったが、結構笑えた。

 バスで、一時間ちょっと揺られた後、目的地の九龍(カオルン)ストリートに到着した。バスを降りると、梁君の従姉妹のキャシー王さんが、梁君と私を迎えてくれた。
 

 

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香港旅行記 5  ― 梁君との再会

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「ああ、先生、どこにいたんですか?ずっと先生を捜してたんですよ。今、どこにいますか?」

「今、セヴンイレヴンの前に、いるよ。」

「ちょっと、待ってて下さい。今、すぐ行きますから。」

 30秒ほどして、梁君がやってきた。

「ああ、よかった。どうしても、先生が見つからないから、さっき警察に『私の先生は、どこですか?』って聞きました。ホントに、心配しましたよ。」

「え?どこで待ってたの?」

「向こうの出口です。」

 と彼は、私が出てきたのとは正反対の側にある出口を指差して言った。あ!あれは。そう、最初に入国審査のゲートを出たときに、人について行ったりせずに、素直に目の前にあるゲートから出ていれば、こんなことにならずに済んだのである。梁君は、当然そこから出てくる筈の私をずっと、そこで待っていたのだ。

 その事を彼に言うと、

「先生は、外国人だし、香港は初めてなので仕方がありません。ともかく、こうして無事会えてよかったです。これは、2000人民元相当の2400香港ドルです。先生は、お金がないでしょう から、お貸ししておきます。」

と言って、ポケットからお金の入った封筒を取り出した。

「いいよ。電車で帰るから。」

「香港から列車で帰るのは、手順がかなり複雑です。初めて旅行する外国の人にとっては、かなり難しいと思いますので、先生は飛行機で帰った方がいいと思います。」

「申し訳ない。じゃあ、ありがたく借りるよ。お金は必ず返すから。」

「いえ、他の人なら、そして他の先生なら、絶対貸しません。鷹野先生だから、信用して貸すんです。お金は、先生がご都合のよろしい時に返して頂ければ、それで結構です。」

 涙が出るほど、有り難い梁君の言葉だった。地獄で仏とは、このことだ。今まで、多くの危機的状況で、いつも梁君のような人たちが救いの手を差し伸べてくれた。その事は、一生忘れない、そして、梁君には何があっても、借りた2000元をすぐに返すと、固く心に誓った。

「先生、とりあえず、先生が持ってらっしゃるお金を全て、香港ドルに換えましょう。」

と梁君が言ったので、我々は、両替のできるTravelexへ向かった。 

 

 

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香港旅行記 4  ― 電話カード

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 さて、困った。飛行機の到着時間が、予定より30分ほど遅れたため、迎えに来ていた梁君が帰ってしまったのかもしれない。出口の付近を行ったり来たりして、15分ほど探し回ったが、どこにもいない。

 中国から持って来た携帯には、国際電話サービスはないので、彼に電話することもできない。仕方がないので、ロビーにあるセヴンイレヴンに入って、電話カードを購入する。「中国の人民元は、使えるか?」と聞くと、「使えます。」と言うので、購入する。値段は、50元だ。さすが香港だ。高い!

 だが、仕方がない。カードを買ったとき、店員さんが公衆電話でのカードの使い方を教えてくれた。

 コンビニを出ると、すぐ目の前に、電話があったので、店員さんに言われた通りに掛けてみるが掛からない。通りがかりの、若者に聞いてみると、その電話では、カードは使えないと言う。彼らが指差した方向にある公衆電話なら掛かるからそっちに行くべきだと言う。

 そっちに行って、言われた通りにかけてみたが、ヤッパリ掛からない。それから、ロビーにいたあらゆる人たちに、カードを使っての電話の掛け方を聞いてみた。空港職員の女の子、立っていた警察官、ソファーに座っていたアメリカ人と思しきカップル、案内カウンターの女の子。みんな、親切に教えてくれたのだが、みんな、それぞれに言う事が全く違う。

 それにしても、みんな英語がうまい。さすが、1997年まで、イギリス領だっただけの事はある。日本も見習わなきゃ、などと暢気に感心している場合じゃない。このままだと、空港ロビーで夜を明かさねばならなくなる。やばい、実にヤバイ。

 結局、どうやっても掛けることが出来なかったので、コンビニに戻って、もう一度使い方を尋ねてみる。すると、レジにいた女の子が、親切にも「じゃあ、私がかけてあげます。」と言ってくれる。彼女は、私が渡したカードを見ながら、コンビニの前にある公衆電話から、梁君の携帯に電話を掛けてくれた。

 向こうが電話に出たので、笑顔で私に受話器を渡してくれる。私は、彼女に「助けてくれて、ホントにありがとう。」と丁重にお礼を言った。受話器から、梁君の安堵の声が聞こえてきた。




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香港旅行記 3  ― 香港国際空港

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  香港に到着。

 飛行機を降りると、皆ゾロゾロとある方向に歩いていく。右も左もわからないので、流れに身を任せて、歩いていくと、地下鉄のようなところまでやって来る。それに、乗っていいものかどうか迷ったので、ニューヨークからの団体客に英語で案内をしていたツアーガイドのお兄さんに、団体客の一員のような振りをして「この地下鉄に乗るんですか?」と尋ねる。すると、お兄さんは、「そうです。これに乗って下さい。」と親切に教えてくれる。

 地下鉄で移動し、入国審査へ。長い列に並んで待っていると、私の前にいたアメリカ人と思しきカップルが、入国カードのようなものを書いている。私が、「それ、書かないといけないの?」と尋ねると女性の方が、「そうよ。」と答え、「この場所、確保しといてあげるから、あなたも取って来なさいよ。」と親切に言ってくれる。お言葉に甘えて、カードを取って来て、歩きながら記入を始めるが、ボールペンのインクの出が悪く、中々うまく記入できない。再び、前を歩いているカップルに「ボールペン貸してくれない?」と聞くと、「いいわよ。」と言って、快く貸してくれる。

 旅は道連れ、世は情けである。

 入国審査を済ませ、広いロビーのような場所に出る。そこから、どちらに行けばいいのか、全くわからないので、とりあえず、自分の前を歩いている男性の後についていく。彼は、右方向のかなり遠いところにある出口と思しき場所に向かって、歩いていく。仕方がないので、私も付いて行く。出口を出ると、そこは先ほどよりは、広いロビーがあった。ゲートの上には、飛行機から降りた客が出口に向かって歩いてくる様子が巨大なスクリーンに映っていた。

 ロビーには、人の名前を書いたカードを持った人が沢山立っていた。どうも、ここが送迎ゲートらしい。だが、迎えに来てくれている筈の梁君が、どこにもいない。




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香港旅行記 2  ― 広州へ

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 香港に行ってお金がなくなっても困るので、アパートの家賃を払わないまま、香港に行くことにしていた。L君に電話して、大家さんにうまく言い訳をしてもらうよう依頼する。私は、ヴィザを取るために香港にいるが、まだヴィザが発行されていないので、香港から戻って来れないと言う事にしたのである。ウソも方便である。

 半年の契約が切れる前に、次の半年の契約も、入居時と同額の月1200元でいいと言っておきながら、いざ金を払う段になると、1300元にしてくれと言ってきた大家である。お互い様だ。バカ正直に動いていたら、中国では生きていけない。

 次に、香港国際空港で私を迎えにきてくれる手はずになっている梁君に確認の電話を入れる。「空港の出口で、先生を待っています。」との返事だったので、一安心する。本来は、彼が案内人になってくれる筈だったのだが、彼にはユニヴァーシアードのボランティアとしての仕事があるので、香港在住の彼の従姉妹に案内してもらう事になっていた。

 
 10時半にチェックインが始まり、11時に搭乗。朝早く出て来たので、疲れていた私は、機内食を取った後、一寝入りする。起きて、客室乗務員のお兄さんにもらった英字新聞を読んでいるうちに、飛行機は広州に向かって下降を始めた。

 私は、中国から香港に直行するとばかり思い込んでいたが、飛行機は一旦広州に着陸。横に乗っていたお兄さんたちは、通路側に座っていた私に「下りるんだろう?」と言う。

 「ここで、下りるのか?」と聞くと、「下りるべきだろ。」と言われてしまう。さようですかとばかりに、広州の空港で下りて、出国検査に向かう。皆にはぐれないかが不安だったが、スッチーのおネエさんが、胸に「香港」と書いたワッペンを貼ってくれたので、安心して、その他大勢の乗客と一緒に歩いていく。

 途中、前を歩いていた人たちの姿が見えなくなり、通路で立ち往生していると、スッチーらしき、おネエさんが後ろから、英語で「そこを真っ直ぐ行って、突き当りを『右』に行ってください。」と私に教えてくれた。教えられた通りに、突き当りまで来ると、『右』は行き止まりである。かなり細い通路めいたモノが見えるが、到底人間が通れそうもない。ここを、無理して通れと言うのか?途方にくれていると、またさっきと同じおネエさんが、一生懸命、左を指差しながら、英語で「『右』です。『右』に行って下さい。」と言う。

 私が、「君は、もう一度、英語をちゃんと勉強した方がいい。こっちは、『左』だろ!」と言うと、少し恥ずかしそうに、「すみません。『左』でした。」と詫びる。スッチーだろ、右と左くらい覚えとけよ。今思い出すと、彼女は、スッチーのような制服を着た単なる空港職員だったような気がする。それでも、空港で働いているのなら、基本的な英語くらいは、ちゃんと話すべきだろう。

 その後は、迷子になる事もなく、入国審査を終え、再び搭乗。

 広州から香港までは、アッと言う間で、飛行機は飛び上がったと思ったら、すぐ下降を始めた。

 

 

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