夢想剣

JUGEMテーマ:合気道

 

 先々週、いつも稽古している公園でイベントをやっていたので、あまり人の来ない場所に移動して稽古しました。皆、それぞれの事情で退会し、最後に一人残ったのは、大学時代の後輩Y君です。

 

 彼は、かつて私と一緒に古式の空手や拳法を修行していたので、かなり楽に指導できます。

 

 ただ、合気技に関しては素人なので、こちらはかなり悪戦苦闘している様子です。

 

 彼に合気技を指導するときは、まず彼に私が合気技を掛けてから、次に彼に同じことをさせます。最初の頃は、私を全く動かせなかったY君ですが、最近は、少し体を持っていかれる様になってきました。

 

 私は、彼に日常生活で我々が無意識にやっている動き、例えば、ドアノブを回してドアを開けるとか、車のハンドルを回すとか、肩を叩かれて後ろを振り向くとかいうような動きを使った合気技を彼に教えました。

 

 普段、うまく合気技を使いこなせない彼も、こういうイメージを使うとうまく技がかかります。こういうときに、どう体が動いているか、或いは、どう意識を使っているかが分かれば、合気の全体像が掴めるんですが、それには時間がかかります。天才は、比較的短い時間にマネできる様になりますが、自分がなぜそう動けるかを他人に説明できないので、人にこれを指導することはできません。

 

 無意識の技の凄さをY君に理解してもらうために、かつて合気道のS師範から聞いた師範の体験談を彼に話しました。(福岡武道物語 V 「無想拳」http://koshiki.jugem.jp/?eid=149 参照)

 

 すると、Y君は、彼自身の興味深い体験談を話してくれました。ある時、自宅の庭で彼が木刀を上下に振っていた時のことです。どこからともなく、雀蜂と思しき大きな蜂が飛んで来て、彼が降っている木刀に当たりました。

 

 Y君は、「今、木刀に蜂が当たったな。」と思いました。木刀を振るのを止めて、目の前を見ると、頭から胴体まで真っ二つに切れた蜂の半身がありました。更に辺りを見回すと、もう片方の半身が見つかりました。

 

 彼は、もの凄いスピードで木刀を振り下ろしていたわけではありません。

 

 彼のこの話を聞いて、私も自分自身の不思議な体験を思い出しました。中学2年の頃、陸上部の練習でグランドに出ていた時に、私の足元にモンシロチョウが飛んでいました。私は、その蝶をただ追い払うつもりで、右足を何気なく前に出しました。すると、運動靴の先が蝶に当たって、蝶の胴体は真っ二つに切れてしましました。今でも可哀そうなことをしたと思ってますが、私は別に蝶を殺そうと思って足を出したわけではありません。「出した」と言うより、自然に「出た」んですが、それが、夢想剣的な動きになっていたのでしょう。Y君も、同様です。彼も、蜂を斬ろうと思って木刀を振っていたわけではありません。無意識にしかもユックリと振っていた木刀に蜂が「当たった」だけなのです。

 

 こんな話をY君としていると、二人の間にかなり大きな雀蜂が飛んできました。Y君は、

 

 「そうそう、こんな蜂ですよ。私が斬った蜂は。」

 

と言って、そのスズメバチを指差しました。不思議な共時性ですね。誰でも、達人になれる可能性を秘めています。こういう無想の動きを常時できる人が、達人なのでしょう。

 

 

 


練習中の死亡事故

JUGEMテーマ:空手道

 今日は、「稽古ノート 71」を書くつもりだったんですが、ネットのニュースを見て驚き、格闘技練習時に起こりがちな事故について、些か愚見を述べさせて頂く事に致しました。

 大阪市生野区の公園で、キックボクシングの練習中にストレートパンチが、顔面に当たり、アルバイト従業員の男性が、亡くなられました。まだ、20歳という若さで亡くなられたので、ご本人もご無念だった事でしょうし、何よりご遺族がお辛い思いをしていらっしゃる事でしょう。ここに謹んで、ご冥福をお祈りさせて頂きたいと思います。

 わたくし、道場を持たずに指導をしておりますので、弟子に稽古をつける時は、公園を利用します。ときどき、同じ公園内で、ボクシングやキックボクシングなどを練習している若者たちを見かけます。

 私の見た若者たちは、皆キチンとした指導者につかず、本やDVDなどを見て我流で練習しているようです。一人で、シャドーをしたり、組んでパンチングミット・キックミットなどを叩いたり蹴ったりしている分には、本人たちに悪い癖がつく程度の弊害しか生じませんが、スパーリングはいけません。

 今回の事件で、警察に捕まった27歳の男性は、数回ジムに通っただけの半素人ですし、亡くなられた方は、4ヶ月足らずの間にわずか4回しか練習した事のないズブの素人の方です。

 この事故は、起こるべくして起こった事故だと言えます。

 まだ、碌に体も出来ていない状態で、スパーリングをやるなど、あまりに無謀過ぎます。殴った男性は、グローブを着用しており、亡くなられた方は、グローブとヘッドギアを着用なさっていたそうですが、基礎体力も基本も出来ていない状態で、スパーリングなんかすれば、当然事故は起こります。しかも、ちゃんとした監督者・指導者なしであれば、なおの事そうだと言えます。スパーリングが危険な状態になっても、止める人がいないからです。

 私が、キックやボクシングの指導者なら、入門して来た初心者には、一年間は、絶対スパーリングをやらせません。非常に危険だからです。

 現在、指導者なしに、我流で打撃系の格闘技を独学していらっしゃる方は、すぐにキチンとした道場やジムに入門なさる事をお勧めします。どうしても、それがお嫌な方は、独学をお続けになられても結構かとは思いますが、スパーリングは絶対におやりにならない方が賢明です。不幸の事故が起きれば、自分の人生ばかりでなく、他人の人生も破壊してしまう事になりますから。




※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=2053
 

 

道句 7

JUGEMテーマ:空手道


   いつの日か 極意をさとる 日々精進



※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=1861

達人とどう向き合うべきか?

JUGEMテーマ:空手道

 武道の世界には、達人と呼ばれる人たちが存在します。有名な人たちもいらっしゃれば、全く周囲にその達人振りを知られることなく普通に生活している人たちもいらっしゃいます。

 私も、若い頃、超人とでも呼ぶべき域に達した人たちと何度か接した事があります。お陰で、謙虚さを失うことなく、ここまで修行を続けてくる事ができました。

 こういう先生たちは、確かに凄いです。凄いんですが、私は、そういう先生方を尊敬する事はあっても、崇拝しようとは思いません。

 なぜなら、他人を崇拝してしまうと、そこで自分の進歩は、止まってしまうからです。達人技に接すると、「あの人は、自分の手の届かない雲の上の存在だ。自分なんか百年修行しても、ああは絶対になれない。」と自己暗示を掛けてしまいがちですが、それをやると、自ら努力を放棄してしまう事になります。

 では、達人たちとどう接すればいいのでしょうか?或いは、達人たちをどう捉えればいいのでしょうか?

 一番健全な捉え方は、坪井繁幸(現 香譲)先生が、名著『極意』(潮文社)の中で、述べていらっしゃるように、達人たちを自分の将来の可能性として見ることです。

 しかし、これは、言うは易く、行うは難しで、中々これを実践する事ができません。特に難しいのが、達人の胸を借りるときです。こういう時は、えてして、最初から勝負を捨てがちになります。「どうせ、今日も、コテンパンにやられるに違いない。」という考えに支配されてしまうからです。

 若かりし頃の私も、御他分に洩れず、老師と組むときは、いつもこういう気持ちになっていました。老師が人間離れした技術をお持ちの方だったからです。それをご覧になった老師は、私に、こうおっしゃいました。

 「君は、最初から勝負を捨ててる。それじゃあ、ダメだ。『敵わないかもしれないけ
 ど、やれるだけの事はやる』という潔い気持ちを持て。じゃないと、私が本当に教え
 たい事が教えられんじゃないか。誰が相手でも、いつもそういう気持ちを持って組む
 ようにしなさい。」

 老師のこの時の言葉は、一生忘れる事はないでしょう。私は、それから、相手がどんなに段位の高い人であろうと、どんなに有名な人であろうと、全力で組むようになりました。結果的には、敗北する事になっても、そういう態度を貫く事で、精神的にも強くなれましたし、技術的にも多くを学ぶ事ができるようになりました。また、妙な権威主義に陥ることなく、人をありのままに見る事ができるようにもなりました。


 20代前半のころは、大真面目で、地上最強の空手家になりたいと考えていました。老師に出会って、その誇大妄想を大ハンマーで叩き潰された後は、老師を尊敬し、老師から学びながらも、老師の存在自体が許せないという屈折した気持ちを持っていました。やっかんでたんですね、老師の人間離れした強さを・・・・・・

 長い年月、いろんな人生経験をした後に、やっと気がついたのは、自分より上の人たちがいるからこそ、人間は成長できるのだということです。

 あるとき、世界的なオーボエ奏者の宮本文昭先生が、テレビで、こんな事をおっしゃっていました。

 「トップになるまでは、色んな人が、色んなアドヴァイスをしてくれた。でも、トップ
 になった途端に、誰も、何も言ってくれなくなった。自分は、もうすぐオーボエを止
 めようと思う。」

 深いお言葉です。自分より、上の存在が無くなってしまったら、それから一体何を目標に生きて行けばいいんでしょうか?修行の張り合いが無くなってしまいます。

 自分より上のレベルの人たちは、実は有難い存在なのです。その人たちが、存在してくれるからこそ、自分も努力を続けて行くことができるのです。いつの日にか、その人たちに追いつき、その人たちを追い抜く事を目標に、生きがいのある人生を送る事ができるのです。

 長年の修行の甲斐あって、その人たちに追いつけた時には、その人たちは、もうこの世にはいらっしゃらないかもしれませんが・・・・・・



※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=1849
 

 


 
 

They say, "Imitation is the sincerest form of flattery.", but,,,

JUGEMテーマ:空手道


 久し振りに再会した昔の生徒に勧められて、ある空手師範の動画を見ました。その生徒が、「かなり凄い先生ですよ。一見の価値はあります。」と絶賛するので、どんな凄い人かと思い、見てみましたが、ガッカリしただけでした。

 確かに、彼のやっていた派手なパーフォーマンスは、それなりのレベルでしたが、どのパーフォーマンスも全て誰かの猿真似にしか過ぎないものだったからです。

 彼のやって見せていた事は、(イ)のパーフォーマンスはA先生の、(ロ)のパーフォーマンスはB先生の、(ハ)のパーフォーマンスはC先生の真似だとすぐに分かるシロモノでしかありませんでした。

 今は、インターネットが発達しているので、色んな先生方の演武や指導風景を動画で自由に見ることが出来ます。おかげで、わざわざ他の道場に行って見学したり、DVDなどを購入したりしなくても、色々な武道の技を研究する事もできるようになりました。

 それは、それでいいことだと思います。かく言う私も、色んな先生方の動きを参考にさせてもらったり、盗ませてもらったりしています。

 でも、それを人前で見せようとは思いません。元々、自分の技を公開する積りはありませんが、もし公開するなら、盗んだものをそのままの形で公開したりはしません。そんな事をすれば、誰のマネをしているのか、すぐにバレてしまい、恥を晒すだけだからです。

 この空手師範は、自信がないんでしょうかね?この場合、「自信がない」というのは、自分の個性を信じていないという意味です。

 確かに、私も他の先生の技を見て研究し、同じことをやれるようになった事はあります。でも、全く同じには、なりません。私には、私の曲げがたい個性があるからです。私は、他人から技を盗む事はあっても、それを元々存在していた自分のシステムの中に上手に取り込んで、自分独自のモノに変えてしまいます。或いは、それを一つのエレメントとして使用し、新たなシステムを作り上げるようにしています。そうじゃないと、上記の空手師範のように、単なる猿真似に終ってしまうからです。

 最近、こういう人真似をする武道家が、増えてきましたね。かつて、Mr.マリックが持てはやされた頃に、マリックもどきのマジシャンたちが、雨後の竹の子のように次から次に出て来たのと同じ現象ですね。今は、セロもどきのマジシャンが増えているようです。

 話を元に戻します。この師範が、真似していたパーフォーマンスは、全部人目を引く派手なものばかりでした。日本が、まだ不況から完全に脱していない現状では、道場経営も厳しいんでしょうね。お弟子さんを集めるためには、たとえ人真似と誹られようと、なりふり構わず派手なパーフォーマンスをする必要が、あるのかもしれません。安易に、彼を批判する事ができない事もよく分かります。分かりますが、やっぱり、釈然としない思いは残りますね。
  
 地味でもいいから、自分独自の空手を創り上げて欲しいもんです。


※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=1483


夢見の世界 121    −武道独習者の皆さんへ

 一週間しても、剣の構えや突き技を教えてくれる人が現れなかった場合は、図書館にいらっしゃって、剣道の入門書をご覧下さい。写真付きで、親切に解説している本が、沢山あります。

 また、入門書の解説だけではなく、動画も絶対必要です。

 剣の握り方から、構え方、そして突き方などの動画をご覧になって下さい。

 出来れば、ご自分のパソコンにそれらの動画をダウンロードなさるとよろしいでしょう。

 後は、書籍と動画で学んだ事を只管練習するだけですが、独学でやるとどうしても動きが独りよがりになってしまいます。怖いのは、そういう悪い癖が「化石化」してしまうことです。一旦悪い癖が付くと直すのにかなり苦労します。

 鏡を充分、ご活用になってご自分の姿勢や動きを定期的にチェックなさって下さい。出来れば、写真や動画もどなたかに撮影してもらって、写真教材や動画教材の中の姿勢や動きと比較なさるとよろしいでしょう。

 何度も木刀をお振りになっていると、木刀の気持ちが、段々分かってきます。もし振り方がお分かりにならなかったら、木刀にお聞きになって下さい。木刀が、正しい振り方を教えてくれます。


 独習なさるのなら、ここまで徹底してやらないといけません。かなり面倒です。

 やはり、指導者におつきにって、学ばれるのがベストだと思います。


※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=621
 


未知の状況にも動じない訓練を

JUGEMテーマ:空手道

  武道に取り組む意義の一つに「恐怖心の克服」があります。これまでにコンタクト系のスポーツなどをやった経験がない人の場合、急に相手が飛び掛かってくれば思わず体をすくめたり、目をつぶってしまうでしょう。これが普通の反応です。しかし人間はストレスを感じる状況を繰り返し体験すれば不思議と慣れてくるもので、次第に心に波が立たなくなります。もちろんこれは「ある特定の状況」であれば動じないということに過ぎません。そのためできる限りあらゆる状況を想定した稽古をすることが肝心です。

 たとえば相手が素手であるだけでなく、ナイフを持っている。これだけでも脳にとっては未知の状況であり、心を空(くう)にするのは難しくなります。たいていの場合、一度経験し、対処法を極めたものに対しては「不安」ではなく「ウェルカム」の心境になるものですので、できる限りあらゆる状況を「稽古の場」で経験しておくことが理想です。

 これは社会生活にも当てはまります。ある一つの仕事に長年取り組むと、その分野ではプロフェッショナルになることができます。しかし、一旦自分の土俵から出るとそこは「未知の世界」となり、「恐怖心」までとはいかないまでも、「不安」を感じる結果となってしまいます。いわゆるアウェーという状況では人は弱い存在となってしまうので、長い職業人生を見据えた上で必要ならば、大胆な方針転換やチャレンジは「大いに有り」だと思います。

 武道をやれば強くはなれますが、狭い範囲における取り組みを続けてしまうと「未知の状況」に上手く対処できなくなってしまいます。もちろん普段からそのことを見据えて、状況に応じ自分の行動様式を変える準備をきちんと行っているならば、それほど問題はありません。

 つまるところ、「恐怖心の克服」は、未知の状況を繰り返し経験することにより達成することができると言えるでしょう。そしてその未知の状況の「幅」も考え、たとえば空手だけでなく他の武道にも興味を持ち、対素手以外の戦術や戦闘場所の地理的なバリエーションなども考慮に入れておく必要があります。

 武道と人生、似ていますね。いえ、武道は人生そのものと言っていいのかもしれません。
                                                                                                   (翔の作品)



※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=415

「師」をどう見るべきか: 健全な師弟関係を

JUGEMテーマ:空手道

  師の在り方とは何でしょうか。師とは弟子に自らの知識や技術を教え、弟子の成長を導く存在です。しかし一方で師自身も成長途上の一修行者であり、常に自分自身を高める努力を惜しまない存在であるべきです。このような姿勢に人は感服し、「この師に学びたい」と思い弟子となるのです。

 さてここからが大事な点となりますが、弟子は師のことを決して神格化して見てはいけません。師とは往々にして、自分の価値観では図ることのできない能力や技術を有しているものです。確かに師は自分にとって思わず崇拝してしまいたくなるような存在であるかもしれません。しかし、これでは不健全です。そのように師を崇拝したがる人に限って、努力の仕方が甘いものです。素晴らしい師についていることに満足してしまい、努力を怠ってしまうからです。

 以前、私の師が仰いました。どんなに超人的な技を使う師匠でも「将来の自分の可能性の一つ」として見ることが健全な師への接し方なのです。今は無理だけど、努力すればいつかは追いつけるといった、現実的な努力目標として師と向き合うべきなのです。

 これは師の立場からしても健全で、そして望ましい接し方であると思います。自分のことを神のように見られることに喜びを感じるような師は普通いないでしょう。自分自身の成長に興味のある人は、一般的に自分のことを大したことがないと思っているものです。他人からの過度の賞賛は、自己イメージとのギャップにより、居心地が悪く感じてしまうものです。

 しかし、もし弟子から崇拝されたいという欲求が強い師がいたとしたら、その人はもはや自分自身の成長に向き合ってはいない人だと言えるでしょう。これはちょうど自分を大きく見せようと、社内の飲み会でいかに自分がすごいかを恥ずかしげもなくしゃべっているサラリーマンと同じことをしているようなものです。

 本当の師とは、弟子との適切な距離感を掴めており、遠過ぎて崇拝の対象になることなく、また近過ぎて弟子に侮られることもなく、適度な間合いを保っているものです。言い換えれば、一見すると「ふつう」に見える人かもしれません。すなわち分かる人には分かる、と言ったところでしょうか。

 これから道場を探し、師を見つけようとしている方は、ぜひ次のことを明記しておいて欲しいと思います。見た目の豪快さや派手さも心惹かれる要因ですが、それだけを判断材料にすると往々にして失敗します。本当の師は思いのほか淡々と、静かな気迫をまとっているものです。

 また歩く姿や立ち姿、そして演武の際の足運びなどにこそ「熟練」が見え隠れしています。あまりに「ふつう」に見えることから、はじめは「すごい」とは思えないかもしれません。しかし過剰な期待で自分の目を曇らせず、冷静に時間をかけてその人の人柄を理解していけば、間違いなくその人を「将来の自分の可能性の一つ」として見ることができるようになるでしょう。師とは一目ぼれで出会うものではありません。互いに時間をかけ、互いに理解し合う中で自然と生じるのが真の師弟関係というものではないかと思います。

                                  (翔の作品)




Mails between D and Ryu 「古武道から新武道へ」

JUGEMテーマ:国際交流

 Hello Mr. Takano,
 
  How have you been lately? Are you still teaching and traveling in China? How  is your knee injury? I hope the treatments that you were receiving for your injury have been helping so that you can continue with your training eventually. We try to be patient as martial artists, but it is always frustrating when we cannot train our bodies along with our minds.
 
  I am still training in kickboxing (it has been slightly over two years now).I was learning Judo and Escrima (Philipino martial art) at the same school, but the Escrima teacher left.
  I still do some Judo, but mostly I have been trying to focus on kickboxing. Since I have only been practicing a short time, my skills are still poor compared to many other students, but I enjoy the workout and I very much enjoy  the sparring practice. 
 
  Our style of kickboxing is heavily influenced by Kyokushin Karate=極真空手, so I have 
learned many techniques from that art as part of my training. It is always fun to learn, even if it is while receiving bruises!
 
  A few weeks ago, an interesting thing happened to me. I had a sparring match against another martial artist. He was a superior fighter and was able to defeat me, but we started  talking afterwards and became friends. Although he is a kickboxer too, his is also a teacher of Wing Chun=詠春拳 (he actually feels that kickboxing is more of a "game" to play, whereas Wing Chun is for more realistic combat situations). 
 
  Although I did not fight that well against him, he said he was impressed by my unusual style and would  like to teach me Wing Chun. I am going to begin my Wing Chun training with him this summer. I am excited about it, because I have never studied a Chinese or Kung Fu-based martial art before.
  I'm looking forward to returning a more "internal" style =内家拳的な training as well, because in many ways I felt  stronger when I was training in Aikido. Back in those days, I felt as though my ki= was stronger than it is now.
 
  I will be traveling to Montreal, Canada next week for a vacation (it will be 
the first time that I have traveled since Japan). I was hoping to investigate a Canadian martial art (founded in Montreal) called 'Defendo', but it seems to be very rare and difficult to find these days. It is a Jiu jutsu-based martial art that was developed by a Canadian man in the time around World War II (after he learned Jiu Jutsu from a  Japanese friend of his).
 I hope that your own travels and training are keeping you happy and well 
occupied.

Best Regards,
 -D
 
  
 Hello, D
 
   Ya, I've been doing all right. I'm still in China. Very glad to hear from you. My knee has become better now. Now I'm doing Qigong=気功法 training. It has a good effect for my knee. 
  
  I went back to Japan this winter vacation and stayed there for one month. Do you rember my disciple, Shaw?  Before I came to China, I asked a master of Shorinryu karate who I know to teach him. So I went to his dojo. At that dojo the master taught me jujutsu of his  own style. He learned two styles of old fashioned real authentic jujutsu and afterwards created his own style. So I practiced jujutsu among and with his karate students. It was very enjoyable experience.
 
  Now I'm thinking about incorporating dancing technique into martial arts. There is a traditional dance in Fukuoka. I asked the insructer to teach me when I came back to Japan. 
 
  And I'm going to learn Shintomuso ryu jojutsu=神道夢想流杖術(staff technique), too. Do you know this style of Jojutsu. It is said that the founder of this style was defeated by Musahi Miyamoto. After he was defeated he sequestered himself in a mountain near Fukuoka city for training and got the hint of new technique in his dream. Amazing isn't it?
 
  Shaw will bring tecniques of Shorinryu karate to me in the future. He and I will start creating a new style of martial art peculiar to Fukuoka in five or six years incorporating many techniques. This is our plan. If you were in Japan at that time, would you help us? I believe your experience will be very helpful for us.
 
  Wing Chun is a very good style. Enjoy training with that guy. By the way, did you read my blog. Did your japanese friend translate it for you?
 Have a nice trip to Canada. C U in our dreams !

 Best 
                                                                                            Takano



*The URL of this article : http://koshiki.jugem.jp/?eid=288
 
                                                                                                                   

武道の知恵 掘  崋蕁η法ξァ廖´

JUGEMテーマ:空手道


  最後は、「離」の段階であります。「離」とは師匠から学んだ型を破り確立した自分自身の型すらも超越するという段階であります。
 

 書道で、楷書・行書・草書と書体を崩していき、最後は前衛書道のように一見子供が書いたような自由奔放な字を書く境地まで到達するのと同様のことが武道でも起こります。
 

 前衛書道や創作書道の字は、子供が書いた字と同じように見えても、よく見るとキチンと楷書で字を書けるだけの筆力や技術の深みを見て取れます。武道の「離」の状態も同じです。一見子供が無邪気に動いているように見えても、よくよく目を凝らして見ると、もっと言えば、全体の動きの描く曲線を微分して見ると、一つの型を何年もやり込んだ年季を見て取ることができるのです。もっとも、素人が見れば子供の動きと全く同じにしか見えないでしょうが・・・。
 

 ここまでの境地に辿り着いた人は、達人と呼ばれるに値する人たちです。流れる水のように、空を行く雲のように千変万化の動きをし、一度として同じ形をとることはありません。一切の拘りがなく、無為自然の境地です。
 

 とは言え、これは、かなり高段者になってからのことで、免許皆伝の段階までいった人たちの「離」の状態について述べたものです。あるいは、こういう型の全てを超越した状態を「離」と定義している従来の解釈に従った私の説明と言ってもいいでしょう。
 

 ここまで、高度なことではなくても、もっと下の段階でも、「離」の概念を使用することができると私は考えています。それは、教育としての武道における考え方であります。自分自身が強くなるために始めた武道も、いつかは人に教えなければならない時がきます。道場に入って、黒帯でも手にすることになれば、後から入門してきた白帯の後輩たちを指導しなければなりません。道場生が、20人以上もいれば、道場主一人が全員を指導することは物理的に不可能になってくるので、必然的に指導のお鉢が黒帯の弟子に回ってくることになります。
 

 ここで大事なのは、たとえ初段でも黒帯ともなっていれば、単純な型とは言っても型の応用における「破」の段階に到達しているということです。さもなければ、組み手=乱捕りはできません。前回お話したように、師匠の応用型を破って、自分の応用型を身につけていない限りまともに戦えないからです。
 

 しかし、自分の個性にマッチしたこの型の応用も、他人の指導が始まれば、忘れなければなりません。自分の指導を受け始めた後輩たちが、徐々に「破」の段階に入ってくるからです。後輩一人ひとりにマッチした応用型を提案できなければ、指導者としては失格です。
 

 皆様にここで、一つお断りしておかなければならない事がひとつあります。それは、本当に師の型を破るのが許されるのは、免許皆伝の段階に至った人のみだということです。初伝の段階には、初伝の基本型があり、中伝の段階には、中伝の基本型があります。この段階で許される「破」というのは、あくまで型の〈組み手や実戦における応用〉の個性化であって、ベーシックな意味での〈型)の個性化ではありません。ですから△涼罎如碧榲は最終的でもないんですが)とお断りさせて頂いたわけです。
 

 こういう意味合いにおいて、初伝→中伝→奥伝→免許→免許皆伝と言う修行の流れの中で、「守・破・離」という段階を立体的かつスパイラルに繰り返しながら、最終的かつベーシックな意味での型の「破」と「離」に至るのが修行のあるべき姿だと私は考えています。

 この面に関しては、私自身が未だ修行の途上にあるため、まだまだ研究の余地が残っています。皆様方のご意見をお聞かせいただければ幸いです。
 

 武道の智恵犬如△泙燭会いしましょう。それまでご自愛のほどを・・・。




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