道句 6

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   攻めるとも 待つとも知らず わざが出る




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道句 5

 JUGEMテーマ:空手道


   攻めるなら 待つ気わすれず まえに出よ




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道句 4

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   しばし待て 敵がみずから スキつくる




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道句 3

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  すぐ出るな 敵がかお突く はらを蹴る



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道句 2

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   無想拳 不意に手が出る 足が出る




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武道の智恵 補遺 「忙しい時に、どう稽古を続けるか?」

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 長い人生、仕事や様々な用事のため、キチンとした稽古の時間が取れなくなる時は必ずあります。こんな時は、どうすればいいのでしょうか?忙しさを言い訳にして、そのまま稽古をやらなくなり、結局武道を止めてしまう方も少なくないんじゃないでしょうか?

 私が学生だった頃、バイトが忙しく、あまり練習できないまま、老師の御宅に顔を出したことがありました。老師は、私の顔をご覧になるなり、

「どうだね、鷹野君、最近ちゃんと練習してるかね?」とお尋ねになりました。

 私が練習していない事は、私の顔をご覧になっただけで、見抜いていらっしゃったんでしょうね。私が、

 「いやー、最近、バイトが忙しくて、練習の方は、ちょっと・・・・・・」

と頭を搔きながら、申し上げると、老師は、

 「鷹野君、それじゃあダメなんだよ。忙しい時ほど、ほんのちょっとした時間を見つけてでも、練習するべきなんだ。長い人生の中で、まとまった稽古時間が取れないことは、当然あるからね。一分でも、二分でもいいんだ。いや、極端な話、10秒でもいいんだ。ただし、その10秒間は、集中して真剣に練習しなくちゃならない。」

と仰いました。確かに、老師の仰る通りです。いやしくも武道を志すならば、どんなに忙しくても、たとえ親が死んでも、稽古だけは続けるべきです。

 私が若い頃通っていた和道流空手の道場の玄関に、こんな文句が書いてある紙が貼ってありました。

 「日々のわずかな努力が、余人の追随を許さぬ境地を創り上げる。」
 
 この格言の通りだと思います。たとえ、10分でも15分でも毎日稽古は続けていくべきです。毎日やるのが、難しければ、一日おきでも結構です。私は、休息も稽古のうちだと考えているので、この20年間は、週に月水金の三日だけ、意識的な稽古をするようにしてきました。やっていたのは、ナイハンチ初段という型だけです。

 この型は、一生練習を続けても極めれないと言われているほど深い型です。コツコツ努力してきたお陰で、52歳くらいから、急激に丹田が充実し始めました。型の最初の礼式の動作の時に、自然に丹田が動き始めたのもこの頃のことです。

 たとえ僅かな努力でも、ずっと続けていれば、いつかこんなご褒美をもらう事ができます。その日が、いつ来るのかは分かりませんが、飽くことなく努力を続けてさえいれば、ある日突然、それまでとは全く別の世界が開けます。半村良氏が、未完の小説「太陽の世界」の中でお書きになっていたように、「単純な事の繰り返しが単純でない結果を生む」んですね。

 筋肉の内部化は、目に見えないところで進行していくので、途中で練習を止めてしまうと、せっかく進行していた腰や丹田の成長が止まる事になってしまいます。これくらいなら、「ああ、勿体なかったね。」くらいで済みますが、ある程度丹田が出来ている人が、途中で練習を止めると、結果は悲惨です。

 私の友人は、10年以上空手の稽古を続けたお陰で、かなり丹田が出来上がっていたにも拘らず、稽古を止めてしまいました。彼は、その後、豚のようにブクブクに太り、歯が半分くらい抜けてしまいました。丹田を鍛える事により、締まっていた全身の細胞が、鍛錬を急に止めたせいで、緩んでしまったためだと思われます。

 こういう事もあるので、どんなに忙しくても、稽古は続けるべきなのです。

 私が中国にいた頃、公園のベンチに座っていると、歩いてきた男性が、いきなり八卦掌と形意拳の套路(型)をやり始めたのを見た事があります。彼は、1分ほど熱心に型をやったかと思うと、何事もなかったかのように去って行きました。その後も、彼と同じ様に、いきなり練習を始めたかと思うとすぐに止めて去って行く人を何度か目にしました。

 たとえ一分でも稽古する時は、真剣にやるというのは、中国の伝統なのかもしれません。恐らく、私が見た人たちも、その時は忙しくて定期的にまとまった練習時間を取る事ができなかったんだと思います。
 

 このテーマに関して、私がもう一つ申し上げたいのは、上で申し上げた事とは矛盾するように聞こえるかもしれませんが、必ずしも稽古は、生真面目にやらなくてもいいという事です。

 仕事が忙しくて、暫く稽古にお見えにならなかった先輩が、稽古に出てこられて、ビックリした事があります。以前より、かなり筋肉隆々になられていたからです。私が、

 「先輩、どうしたんですか? えらく逞しくなられましたね。ウエイトトレーニングでもなさってたんですか?」

と尋ねると、先輩は、

 「いや、会社の机の横に小さめのサンチンガーミを置いて、暇な時それを持って遊んでたんだよ。同僚や上司からは、何やってんだって目で見られたけどね。家には、棒やサイやトンファーがあるから、やっぱり手持ち無沙汰のときに、それで遊んでたんだ。そしたら、知らないうちに、こんな体になってたんだよ。」

と仰いました。サンチンガーミというのは、剛柔流や上地流の人たちが鍛錬に使う甕(カメ)のことです。基礎体力が、逆に増してから、道場稽古に戻って来られた先輩は、すぐに勘が戻られ、以前にも増して鋭い動きをするようになられました。どんなに忙しくても、手持ち無沙汰の時はあります。そんなとき、遊び感覚で動いてみるのも、いい稽古になるのかもしれません。
 
 私が、現在、指導しているA君にも、「忙しい時は、立ち・歩き・サンチンの三つだけでもいいから、週三回一日おきに練習してくれ。そして、暇な時間が出来たら、たとえ10秒でも20秒でもいいから、真剣に動いたり、或いは道具を持って遊んだりするといいよ。」と言い聞かせています。彼も、稽古に出てきた時に、「今週は、忙しくてあまり練習できませんでした。」と度々口にする事があったからです。

 参考にしていただければ、幸甚です。
 
 ★関連記事:「稽古ノート 64  ― 猫を撫でる」(http://koshiki.jugem.jp/?eid=1895

 
※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=1315

 

龍氏との対話:  真面目過ぎないこと。遊び心を胸に。

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《本ブログの共同執筆者であり、武道の師でもある龍氏との対話》

● 武道についてのアドヴァイス  2011年5月30日の対話より抜粋


[龍氏]
  翔君も時々、サイやトンファーで遊んでて下さい。型は、体全体を使っていればどんな型を取っても構いません。インターネットの動画を参考にしてもいいし、DVDを購入して見よう見真似でやってもいいですよ。

[翔]
  分かりました。暇を見つけて遊んでみます。

[龍氏]
  あまり正面切って、真面目に「練習する」のではなく、気軽に「遊んだ」方が無意識に動きが浸透しやすくなるんですよね。これは生真面目すぎる日本人には中々理解できない事かもしれません。貴重な中国拳法の教えです。


[翔]
 確かに日本人には理解しがたい事実かもしれません。要するに楽しんで没頭していると勝手に知識や技術が身に付くんですよね!?人生のおもしろい矛盾です。


[龍氏]
  これが、人生の逆説性かもしれません。 とは言え、「体全体で動く事」と「現実に使える型を取る」ようにして下さいね。そこから外れると、タダの手を抜いた練習になってしまいますから・・・・・・。基本は外しちゃいけないけど、遊び心は忘れちゃいけないんですよね。

 「今から練習するぞ」と大上段に構え過ぎるのもいけません。手持ち無沙汰の時にスッと何気なく武器を取って動く、こんな感じでしょうかね。

 この分野でも、バランス感覚が要求されるということでしょう。言葉では、全てを伝え切れません。この感覚は、自得するしかないようです。


《わたくしはこの時期失業状態にあった。あまりに状況を深刻に捉えすぎ、ただただマイナス思考の深みにはまっていたときであった。この対話がきっかけで人生は楽しむべきものだという思いに至ったのだが、ただ楽しもうとするだけでは人生はますます下降線を辿ってしまう。大事なことは「今できること」を最大限やったら、あとは天に結果を委ねるということである。肩の荷を下ろして、今の状況を楽しむくらいの余裕を持つことこそが、この試練の「突破」を意味するのであり、そこから人生は開けていくのである。》



※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=946

武道の智恵 補遺「組み手試合における心の使い方」

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 寸止めにしても、防具付きにしても、組み手試合は実戦とは違います。ルールがあるからです。武道と言うものは、実戦を想定して修行するもので、本来、武道で試合をするという事は「死に合い」を意味します。
 
 とは言え、型や約束組み手と違い、或いは組み慣れた相手との道場組み手とも違い、予想もしない展開に臨機応変に対応しなければならない組み手試合は、上手に使えば、充分武道の訓練に活かす事ができると私は考えています。

 というわけで、本日は、組み手試合における心得のようなものを述べさせて頂きたいと思います。では、早速いきましょう。
 
 
 よく言われている事ですが、 試合当日は、自分が練習してきた事は全て忘れて、体が自然に動くのに任せなければなりません。
 
 言葉を変えて言えば、予想できるあらゆるパターンに対応できるように何度もシレーションを繰り返した上で、当日は自我意識を捨て去り、無意識の働きを信じて無意識に身を任せる事が必要だという事です。
 
 組み手の中で、意識を捨て去るために有効な手段が相手の眉間を見るテクニックです。敵の眉間に集中していれば、意識があらぬ方向へ彷徨い出すこともないので、比較的簡単に組み手の中で瞑想状態に入ることができます。これは、心理学の応用です。
 
 また、過去の苦い敗北経験の〈記憶〉や不安の入り混じった勝利への〈期待〉などは、全て雑念に過ぎませんから、それらの全てを捨て去り、心を虚しくして体の自然な動きに完全に身を任せるようにする事が肝要です。つまり、組み手試合では「意識を手放す」ことが必要なのです。
 
 組み手試合でこのような心の使い方をしている人は、あまりいないように感じています。私がそう感じるのは、蹴ったり突いたりするべき状況でもないのに、無理蹴りしたり、無理突きしたりする人が、あまりにも多いからです。試合の最中に「頭で考えて」動こうとするから、ああなるんです。そういう人たちは、大抵、自ら墓穴を掘っています。

 普段、研究する時には、いくらでも頭で考えても構いません。いや、大いに頭を使うべきだと言えるでしょう。極々一部の天才を除いて、頭を使わない人は武道も伸びません。しかし、組み手試合で、これをやってはいけません。まして、命懸けの実戦においてをや、と言ったところでしょうか。

 見ごたえのあるいい試合は、両者が、己を無にして体の動きに任せているような試合です。こういう試合は、どっちが勝っても負けても拍手を送りたくなるようないい試合です。
 
 こういう試合をやりたかったら、先ほども申し上げたように、意識を手放す事が必要です。勝敗は度外視して。かと言って、勝負を初めから捨てると言うわけでもなく・・・・・・
 こういう点は、バランス感覚が必要です。

 いい試合が出来る人は、普段の厳しい修練を通じて、自分を信じる事が出来る人たちです。自分を信じているからこそ、意識を手放して、無意識の動きに身を任せる事が出来るんだと思います。

 逆に言うと、予想できうる試合での場面を想定してのシミュレーションをやり込んでいない選手ほど、試合の最中にどう動くべきかを意識せざるを得なくなるという事になります。
 
  もし、私の弟子が、組み手試合に出場するのなら、実戦で相手に遅れを取らないと自分で確信できる試合をやってくれれば、そして組み手試合の最中、徹頭徹尾、無意識の働きに身を任せる戦い方をやってくれれば、たとえ一回戦で敗退しようと文句を言うつもりはありません。
 
 逆に、たとえ試合で優勝しても、無理な戦い方で怪我勝ちしたのなら、師匠としてはあまり嬉しくはありません。
 
 
 
 Soc : Where are you, Dan?
 
 Dan : Here.
 
 Soc : What time is it?
 
 Dan : Now.
 
 Soc : What are you?
 
 Dan : This moment.

  
(from ”Peaceful Warrior”)




※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=828

武道の智恵 将掘 [梢遊(=二人拳)

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 前回は、一人で多人数を相手にする組み手について、述べさせていただきました。今回は、二人で多人数を相手にする組み手についてお送りしたいと思います。

 こう言う技術を私は、二人拳と呼んでいます。よくアクション映画や時代劇などで、大勢の敵に囲まれた二人の人物が背中合わせに立って、周囲の敵に対して構えている場面が出てきますが、あれが二人拳の原型だと言えるでしょう。

 この拳には、さまざまな技術があります。パートナーの体格に著しく違いがある場合は、大きい方が、小さい方を敵の上方に投げたり、敵の隊列の隙間に滑らせたりして、敵の目標を分散させることもできます。あるいは、「多人数組み手」1(http://koshiki.jugem.jp/?eid=444)に出て来たC君のように、パートナーの体を振り回しながら、襲いかかって来る敵をなぎ倒していく技術もあります。C君の場合は、両手に掴んだ敵の体を振り回したわけですが、この場合はパートナーの体を振り回すのです。(前者の場合は、敵を打ち損ねることも多々あるとは思いますが、後者の場合はパートナーなので、敵の体に当たるように自分の体の動きを微調整して振り回している方に協力することもできます。)

 あるいは、敵の目の前で、大きな方がパッとしゃがんで、パートナーの踏切板ならぬ「踏切台」になりパートナーにより高い位置からの跳び蹴りをやらせる方法もあります。この技術には、二つの利点があります。一つは、突然相手の目の前でしゃがむことにより敵の意表をつくことができること。もう一つは、高い位置から敵を蹴り下ろすことで、敵の防御を困難にすることです。

 ただし、これは、土台になる人間がぐらついてしまうと逆に墓穴を掘ることになってしまうので、パートナーが自分の背中で踏み切ってもぐらつかないように、土台になる人間はしゃがんだ後シッカリと自分の体を固定するように努めなければなりません。

 他の二人拳の技術も同様ですが、正しい技術を師に学び、しっかりと予行演習しておかねば、この技術は絶対に使えません。

 パートナー同士が同じくらいの体格の場合は、上記のような技術はあまり使えません。この場合によく使うのは、多人数の敵の攻撃に対して、役割分担しながら戦う技術です。たとえば、片方が受けに専心し、片方が攻撃に専心するのです。ただし、この拳は、本来一人の人間がやる技術を二人でやることになりますから、二人の呼吸がピッタリと合っていないといけません。そのために、古式拳法では歌を使います。拳法の動きのリズムによくマッチした同じ歌を二人で同時に歌いながら、呼吸を合わせて周囲の敵を倒していくのです。

 これを発展させたものが双子の拳法です。双子に、幼いころからこの二人拳を教えます。双子ですから、他人同士が組む二人拳より遙かに、息が合っています。しかも、同じ顔・同じ体格をしていますから、敵は分身の術を使われているような錯覚に陥ります。もしかしたら、忍術の分身の術の正体は、案外この双子拳や三つ子拳だったのかもしれません。

 双子拳の人たちに一列縦隊になって掛かって来られた時に、前にいた方が突然体を沈めたりすると間合いが掴めなくなります。近くにいたと思った人間が、突然遠くにテレポートしたような錯覚に陥るからです。マジックなどで、双子を使ってあたかも一人の人間が瞬間移動をしたかのような錯覚を起こさせるのと同じ理屈です。

 ただし、これは双子故の強さなので、片方を倒してしまえば、もう片方の戦闘力は著しく半減します。もっとも、この拳を使う方もその弱点をよく弁えているので、絶対にこちらが一人の人間への攻撃に専心できないように攻撃してきます。ちょっと、恐ろしい拳法ですね。

 まあ、ここまでなったら、白戸三平の漫画か、池波正太郎の時代小説の世界ですので、こんな拳法を使う人たちは、現代社会には殆ど残ってないでしょうけど・・・・・・

 でも、皆無とは言い切れません。広い世界ですから、まだどこかにこの技術を使える人たちがいらっしゃるかもしれません。



※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=462


武道の智恵将供  崑真与組み手」 3

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 ・・・自分の立ち位置と敵のグループの人間関係です。

 まず、前者についてご説明いたしましょう。これは、相手が一人の時にも言えることですが、昼間だったら、必ず太陽を、夜だったら、必ず灯りを背負って立つ事です。太陽を背負っていれば、相手はこちらを見るとき眩しいしので、かなり有利になります。

 因みに、剛柔流のセイエンチンの中にある手を額に翳す形は、万一、太陽に向って立ってしまった時に眩しくないようにするための形です。

 夜の場合は、何があっても絶対灯りを背負わねばなりません。敵が灯りを背負っていると、相手の前面が全く見えなくなるので、非常に危険です。相手が何かを手にしていても全く見えません。逆に言えば、こちらが灯りを背負っている場合は、かなり有利な立場に立てると言う事です。何も武器を持ってなくても、何かを取り出す動作をすれば、こちらが何かを持っていると相手に思わせることもできます。

 ちょっと話題が逸れてしまいました。話を多人数組み手に戻します。自分の立ち位置について、もう一つ注意しなければならないのは、敵が自分の後ろに回る事が難しい位置に立つようにする事です。ただし、壁を背負うのは、なるべく避けた方がいいでしょう。追い込まれた時、後ろに下がれなくなるからです。万一、壁を背負ってしまったら、背水の陣の気迫で戦うしかありませんが、逆に壁を武器として利用する方法もあります。相手を投げて、思いっきり壁に叩きつけるのです。

 敵が怯めば、局面も変わり、囲みを突破するキッカケを摑む事ができます。突破する時には、二段蹴りを使うといいでしょう。一対一の戦いで、飛び蹴りを使える場面は殆どありませんが、多人数を相手にする時は二段蹴りが役に立ちます。二段蹴りは、本来多人数を相手に退路を開く時に使うものです。ただし、飛ぶ場合は着地には充分ご注意を。

 もし、後ろに回りこまれそうな位置に立ってしまったら、相手と話しながら、少しずつ立ち位置を変えるように努めなければなりません。よほどの達人でない限り、後ろからどんな攻撃がどんな方向から飛んでくるかを把握する事は出来ないからです。ただし、移動しながらも前に立っている連中の表情には充分注意を払わねばなりません。自分の後ろを見て相手が薄笑いを浮かべていれば、仲間が後ろに回り込んでいる可能性が大だからです。

 もちろん、その表情がトラップの場合もあります。こちらが、相手の表情に釣られて振り返った所を襲ってやろうという考えです。

 どちらの場合でも、絶対やってはいけないのは、首だけ回して後ろを振り向く事です。後ろから攻撃が来ても、前から攻撃が来ても、対処できないからです。ですから、前に立っている連中がニヤニヤし始めたら、問答無用で、すぐ前に出て相手を倒さねばなりません。二つの意味で、そうしなければなりません。ホントに敵が自分の後ろに回りこんでいる場合は、後ろからの攻撃の間合いを前に出る事で外せるし、トラップの場合は、奇襲攻撃によってグループとしての相手の体制を崩すことができるからです。

 ただし、・・・・・・。今日は、「ただし」が、多いですね。(*^_^*)多人数を相手に戦う時は、ちょっとしたミスが命取りになりかねないので、但し書きをいたるところにつけなければなりません。

 ただし、相手のグループを攻撃する時には、倒していくべき敵の優先順位があります。    

 そのためには、相手と話しながら、相手のグループの力関係を見抜くようにすることが肝要です。と申しましても、何も難しい社会学の理論があるわけではありません。 
 
 まず、そのグループのナンバーワンを見極める事です。次に、そのグループの中で最も体が小さく、一番喧嘩が弱そうな人間を見つけ出さねばなりません。この人間が、一番厄介だからです。自分の弱さをよく知っているので、体の大きな人間がこちらと戦っている最中に、こちらの隙を狙って来るからです。大抵の場合、この手の人間はバットなどの大きめの武器を持って襲い掛かって来ます。そして、最後はグループのナンバーツーを見つけることです。これも、話していれば比較的簡単にわかります。

 C君が戦った百人以上のグループの場合は別ですが、10人程度のグループの場合、この三人が組織の要ですから、この三人を奇襲攻撃で真っ先に倒してしまえば、後は烏合の衆に過ぎません。組織としての戦闘機能は麻痺してしまいます。よしんば、無理して踏みとどまって戦おうとしても、一対一の戦闘の場合とあまり変わらなくなります。

 私の先輩は、駐車場で12,3人のチンピラに絡まれ、この方法でグループの要を一瞬でノックアウトしました。そして、一番弱い奴が持っていたバットを拾い上げ、一番近くにいた二人の人間に向ってユックリ間を踏みながら歩いて行くと、連中は恐怖に駆られて一目散に逃げ行きました。

 グループの要だけを潰してしまえば、後は残りの連中の一人か二人を恐怖させれば、それで充分です。恐怖と言うのは、グループ内の構成員に伝染するからです。

 

 話は変わりますが、相手が精神異常者や薬物中毒者でない限り、いきなり喧嘩になる事はありません。通常は、言葉のやり取りから駆け引きが始まります。この時に、気をつけねばならないのが、先ほど申し上げた立ち位置と言葉の使い方です。前者については既に述べさせて頂いたので、後者について少し愚見を述べさせて頂きたいと思います。

 喧嘩相手の口車に乗せられないようにするには、相手の威嚇的な表現に惑わされずに、相手の言葉のリズムを徹底的に外す事が肝要です。

 「殺すぞ!」なんていう言葉に惑わされてはいけません。ホントに人間を殺そうと決意している人は、「殺すぞ!」とか「一遍死んでみるか?」なんて言いません。何も言わすに、スッとこちらを刺して来ます。

 「蛇に睨まれた蛙」に登場する私の後輩のE君は、バイト先のドーナツ屋さんでヤクザまがいのお客さんに「お前、殺すぞ!」と言われ、即座に「どうぞ」と答えたそうです。相手は、意表をついた彼の言葉に逆にビビッていたそうです。この時点で、この性質の悪いお客さんは、E君に気を取られているので、もう喧嘩を売れません。人間、そんなもんです。

 いざという時のために、普段から多人数掛けの組み手を稽古したり、上記のような知識を身につけておくことも大事ですが、この時のE君のように言葉のやり取りで、相手のやる気を殺いでしまうのが一番です。

 これは、上原先生ご自身から伺った話ですが、ある日先生が駅のホームで電車を待ったらっしゃった時、ホームでチンピラのような連中が三人で耳の不自由な若い女性を囲んでからかっていたそうです。先生は、彼らにスッと近づいて行かれ「君達、そんなことをしては、いかんじゃないか。」と仰りながら、彼らに話しかけられたそうです。先生は、彼らと穏やかな声でお話しなりながら、少しずつ立ち位置を移動なさり、彼らが立ち位置を変えざるを得ないように動かれたのです。

 そして、自分たちも気が付かないうちにチンピラ三人は、ホームの端の線路側を背にする位置に立たされていました。その瞬間、先生が大声で「ワッ!」と大声で叫ばれると、チンピラたちは全員、線路に落ちてしまい、慌てて逃げて行ったそうです。

 上原先生は、巧妙な言葉のやり取りと立ち位置の取り方だけで、一切実力行使をすることなく敵を制されたのです。

 Everything is Kungfu. Speaking is also Kungfu.



※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=446




 


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