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武道の知恵 掘  崋蕁η法ξァ廖´

JUGEMテーマ:空手道


  最後は、「離」の段階であります。「離」とは師匠から学んだ型を破り確立した自分自身の型すらも超越するという段階であります。
 

 書道で、楷書・行書・草書と書体を崩していき、最後は前衛書道のように一見子供が書いたような自由奔放な字を書く境地まで到達するのと同様のことが武道でも起こります。
 

 前衛書道や創作書道の字は、子供が書いた字と同じように見えても、よく見るとキチンと楷書で字を書けるだけの筆力や技術の深みを見て取れます。武道の「離」の状態も同じです。一見子供が無邪気に動いているように見えても、よくよく目を凝らして見ると、もっと言えば、全体の動きの描く曲線を微分して見ると、一つの型を何年もやり込んだ年季を見て取ることができるのです。もっとも、素人が見れば子供の動きと全く同じにしか見えないでしょうが・・・。
 

 ここまでの境地に辿り着いた人は、達人と呼ばれるに値する人たちです。流れる水のように、空を行く雲のように千変万化の動きをし、一度として同じ形をとることはありません。一切の拘りがなく、無為自然の境地です。
 

 とは言え、これは、かなり高段者になってからのことで、免許皆伝の段階までいった人たちの「離」の状態について述べたものです。あるいは、こういう型の全てを超越した状態を「離」と定義している従来の解釈に従った私の説明と言ってもいいでしょう。
 

 ここまで、高度なことではなくても、もっと下の段階でも、「離」の概念を使用することができると私は考えています。それは、教育としての武道における考え方であります。自分自身が強くなるために始めた武道も、いつかは人に教えなければならない時がきます。道場に入って、黒帯でも手にすることになれば、後から入門してきた白帯の後輩たちを指導しなければなりません。道場生が、20人以上もいれば、道場主一人が全員を指導することは物理的に不可能になってくるので、必然的に指導のお鉢が黒帯の弟子に回ってくることになります。
 

 ここで大事なのは、たとえ初段でも黒帯ともなっていれば、単純な型とは言っても型の応用における「破」の段階に到達しているということです。さもなければ、組み手=乱捕りはできません。前回お話したように、師匠の応用型を破って、自分の応用型を身につけていない限りまともに戦えないからです。
 

 しかし、自分の個性にマッチしたこの型の応用も、他人の指導が始まれば、忘れなければなりません。自分の指導を受け始めた後輩たちが、徐々に「破」の段階に入ってくるからです。後輩一人ひとりにマッチした応用型を提案できなければ、指導者としては失格です。
 

 皆様にここで、一つお断りしておかなければならない事がひとつあります。それは、本当に師の型を破るのが許されるのは、免許皆伝の段階に至った人のみだということです。初伝の段階には、初伝の基本型があり、中伝の段階には、中伝の基本型があります。この段階で許される「破」というのは、あくまで型の〈組み手や実戦における応用〉の個性化であって、ベーシックな意味での〈型)の個性化ではありません。ですから△涼罎如碧榲は最終的でもないんですが)とお断りさせて頂いたわけです。
 

 こういう意味合いにおいて、初伝→中伝→奥伝→免許→免許皆伝と言う修行の流れの中で、「守・破・離」という段階を立体的かつスパイラルに繰り返しながら、最終的かつベーシックな意味での型の「破」と「離」に至るのが修行のあるべき姿だと私は考えています。

 この面に関しては、私自身が未だ修行の途上にあるため、まだまだ研究の余地が残っています。皆様方のご意見をお聞かせいただければ幸いです。
 

 武道の智恵犬如△泙燭会いしましょう。それまでご自愛のほどを・・・。




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  • 2019.11.05 Tuesday
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