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稽古ノート 133  ― 心の技

JUGEMテーマ:空手道

 

 普通に生活していれば、凶器を持った人間に襲われるような事は、まずないだろう。その地方で危険だと言われている土地を避けていれば、刃傷沙汰にお目にかかる事は滅多にない。前々回にも述べたが、君子危うきに近寄らずである。

 

 福岡にも危険な土地はある。高校を卒業して、新聞配達をしながら浪人生活を送っていた時の事である。父が浪人生活を許さなかったので、母方の祖母が持っていたアパートに引っ越し、浪人生活を始めた。

 

 この時、私が新聞を配っていた地区が、かなり危険な地区だった。ある日、夕刊を配っていると、後ろから大勢の人たちの叫び声が聞こえた。振り返ると、一人の男が包丁を持って、もう一人の男を刺そうと追いかけていた。それを大勢の中年男女が「やめんしゃい!やめんしゃい!」と言いながら押さえていた。

 

 人を刺そうとしていた男は、かなり怒っていたようで、大量のアドレナリンが出ていたせいか、10人程度はいたと思われる自分を抑えている人たちを引きずりながら、相手に迫っていた。相手は、恐怖のあまり腰がまともに立たなくなっているようで、倒けつ転びつしながら、必死で逃げていた。

 

 滅多に目にする事のできない光景だったので、もう少し見物していたかったが、まだ配達する新聞が残っていたので、その後の経過がどうなったかは知らない。その前に配っていた別の地区では、地面に大量の血が流れているのを目にした事もある。その地区の人に何があったか尋ねると、前日にそこで人が刺し殺されたという事だった。

 

 まだ、二十歳になる前の出来事だったので、この時見た光景はかなりショッキングなものだった。当時も空手の稽古を続けていた私は、ああいう事件に巻き込まれたら、自分の身を守り切れるかと自分自身に問いかけた。自分の中から出て来た答えは、「ノー」だった。いい加減な道場で学んだ中途半端な空手で、刃物を持って襲い掛かって来る相手を捌けるわけがない。

 

 大学に入学してから、私が必死で本物の師匠を探し求め始めたのも、この出来事が大きく影響している。その後、二度ほど命がけの場面に遭遇したにも拘らず、生き残ることが出来たのは偏に古式の空手・拳法を学んでいた故である。その事は、懇切丁寧にご指導下さった先生方と流派の御先祖様に深く感謝している。

 

 上記の例は、特殊な事例だとは思う。だが、今はそうでもなくなった。土地柄の悪くない地域のごく普通の路上で、通り魔殺人が起きたりする。物騒な世の中になったもんである。

 

 いつどんな時に、凶器を所持した人間に襲われるか分からないので、対策を立てておく必要がある。

 

 稽古の事に話を戻す。

 

 刃物に対する護身術には、もう一つのパターンがある。それは、刺されたり、突かれたりするのではなく、喉元に刃物を突き付けられたり、刃を頸動脈の部分に宛がわれたりするパターンである。

 

 この場合は、すぐに死ぬ危険性は少ないが、危険な事に変わりはない。

 

 この日は、バックハンドで頸動脈に刃を宛がわれた場合の対処法を指導した。この場合も、これをやれば絶対に助かるような技術は存在しない。助かる可能性が少し高くなるかな程度のものである。

 

 こういう場合に一番、安全なのは、相手がこちらの体に刃物を近づける前に、抑えてしまうことだ。相手は、自分の鏡である。こちらが速く動けば、相手も速く動く。こちらが血相を変えれば、相手も血相を変える。そうなれば、危険度が高まってしまう。

 

 落ち着いて、相手に気付かれないよう静かに相手の手の甲を自分の掌で抑えるのだ。どんな風に抑えるのか?意外に聞こえるかもしれないが、熱を出した子供のオデコに優しく手を当てるように抑えるのである。そして、静かな声と態度で、

 

 「まあまあ、落ち着いて、話し合いましょう。」

 

と言うのである。言葉の内容は、その時の状況で変えても構わない。重要な事は、こちらの落ち着いた態度に相手を巻き込んでしまうことである。

 

 ここまでくると、武術と言うよりは、むしろ〈演劇〉や〈宗教的救済〉に近くなる。〈宗教的救済〉とは、どういう意味か?黒澤明監督の「どですかでん」という映画をご覧になったことがあるだろうか?

 

 あの映画に彫金師の「たばたさん」というオジイさんが登場する。たばたさんは、日本刀を振りかざして自分を切ろうとする男に、穏やかな声と態度、そして

 

 「そんな重い物を一人で振り回すのは、大変でしょう。私が代わりましょう。」

 

と言う意表を突く言葉で、男を制してしまう。たばたさんの胆力と機転で、男は殺人の罪を犯すこともなく、また誰も死んだり傷ついたりすることもなく事態が収束したのである。あれこそ、武道の、そして人生の極意だと言える。あんな人が実在するのかどうかは分からないが、武道の達人ならできるかもしれない。

 

 この日は、最後に上記の〈心の技〉をNさんと二人で練習して、稽古を終えた。

 

 

 

※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=2781

 

 

 


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  • 2019.11.05 Tuesday
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