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稽古ノート 155  ― Simultaneous kick & punch 3

JUGEMテーマ:空手道

 

 日に日に、空手や拳法の動きが、自分の肉体・精神・魂の状態とマッチしなくなってきた。どうやら、空手拳法の修行者として、情報発信をするのは、これで最後になりそうだ。もっと色々書きたい事はあったが、その任は若い世代に委ねたい。

 

 

 型稽古を終えた後、特殊な器具を使う十字受けの実戦的な稽古に移った。

 

 前回稽古した時、Tさんが、

 

 「これ、かなり痛いですね。」

 

と仰ったので、気泡緩衝材を詰め足して些か柔らかくしたが、ま、こんなもん気休めにしか過ぎない。脱力して使えば、重さが浸透するからである。

 

 痛みの問題はともかく、やってみたら、Tさんの十字受けの形は、メチャクチャに崩れてしまう。前回の稽古からも、あまり進歩は見られない。どうやら、この稽古法は、Tさんには時期尚早だったようだ。代わりに、A君に手本を見せてもらう。

 

 さすがに5年間古式をやっただけあって、どんなにフェイントをかけても、どんなに素早く打っても、A君は型を見ているようにキレイな動きで私の攻撃を受ける。こういう事例を見ると、型、特にナイハンチの重要性を再認識させられる。ナイハンチで、キチンと腰を作っているからこそ、実戦的な動きをしても、型が崩れないのだ。

 

 型が崩れなければ、どんなにフェイントをかけられても、全て相手の攻撃は自然に「受かる」ようになっているのである。

 

 というわけで、Tさんには、次回から前段階に戻って十字受けを稽古してもらう事にした。

 

 

 最後に、蹴りと突きの同時使用の技を稽古した。蹴りと突きを同時に使用すると言っても、やり方は一つではない。二つある。同じ側の手足で当時に攻撃する場合と反対側の手足で攻撃する場合である。

 

 もっと分かり易く言うと、右足で蹴る時に右腕で同時に突くか、それとも左足で蹴る時に右腕で同時に突くかというのが、この二つの技術の違いである。

 

 反対側の手足を使用する方法は、今回のテーマではないので、いつかまたの機会に詳述するとしてと言いたいところだが、残念ながら、もう「またの機会」はない。

 

 せっかくだから、触りだけを少し述べさせてもらって、同じ側の手足での同時攻撃に話を戻したい。反対側の手足を使う稽古をする時は、前後の歩幅を短めにとって、駆けっこをする格好で腕を振り、適当なところで前足の膝を高く引き上げながら、前足と反対側の腕でポータブル巻き藁なり、パンチングミットを突くのである。

 

 膝を上げながら、反対側の腕で突く事に慣れれば、足を延ばして蹴る事はすぐにできるようになる。色々工夫して稽古に励んで頂きたい。

 

 さて、本題に戻ろう。同じ側の手足を使って、攻撃するのは結構難しい。反対側の手足を同時に出すのは、我々が普段歩いたり、走ったりするときと同じ動作なので、少し慣れればそれほど難しくはない。

 

 そこで、役に立つのが、ナンバ歩きのように同じ側の手足を同時に出しながら行う歩法である。八卦掌の基本稽古の中に、そういう訓練法がある。ヤクザが仁義を切る時の「お控えなすって」と同じような格好をして前に進むのである。

 

 今回の稽古では、これを教えずにいきなり使用法に入ったので、二人とも些かやりにくそうだった。次回の稽古では、これを導入したい。

 

 具体的にどんな使用法を指導したかと言うと、ナイハンチの形で、相手の突きを抑え込んで裏拳で相手の顔面を突きながら、前蹴りを相手の腹部か足に向かって放つという形を指導したのである。この形は、Ryan ParkerがYouTubeで公開しているので、ご覧になった方も多いだろう。

 

 だが、あの形は、実際にやってみるとかなり窮屈で、自分より長身の相手にはかなり使いにくい。我々の動きには和道流が入っているので、結果的に、相手の外側に少しずれた位置から、相手の突きを抑え込んで、裏拳で顔面を突くのと同時に相手の前足の膝を斧刃脚で蹴る形になった。

 

 ワンシューやピンアン四段の形なら、前蹴りも使えただろう。と言うか、これは間違いなく使える。小林流や和道流の稽古をしていた時に、私は何度もやった事があるからだ。次回は、こっちも試してみたい。

 

 

 というわけで、2014年4月25日から書き始めたこの「稽古ノート」も、これにて最終回となってしまった。色々至らない所も多々あったであろうこのシリーズを最後まで呼んで下さった読者の皆様方には、心より感謝したい。

 

 私が武道に関する記事を再び書くことがあるとすれば、それは、別の形の武道を習得するか、或いはそれを創り上げた後の事になると思う。クンダリニー覚醒者のための既成の武道がこの世のどこかに存在しているとすれば、そしてそれを指導してくれる師に巡り合う幸運に恵まれれば、その人の下で修行に励み、些か大袈裟かもしれないが世界平和のために貢献したいと考えている。それが、もし叶わないのなら、試行錯誤して自分で新たな武道を創り上げるしかない。

 

 幼い頃から、深刻なイジメ被害に遭い、恨みを内側に溜め込んで生きて来た。空手を始めたのは、正直言って、仕返しするためである。有段者になって、自分をイジメた奴らを呼び出して、ボコボコにしてやるつもりだった。だが、いざ本物の武術を身に着けてしまうと、もうそれを使用することは出来なくなってしまった。使用してしまえば、人を身体障碍者にしてしまうか殺してしまうからである。いくら他人に対する恨みが深くても、犯罪者になったり、刑務所で一生を過ごしたりはしたくなかった。

 

 そうなった時、「一体自分は、何のために苦労して武術を修行して来たのか?」という虚無感に襲われると同時に、単なるケンカの道具としての空手ではなく、人生の、自然の、そして宇宙の奥深さを見せてくれる空手や拳法に深く魅かれるようになっていった。もちろん、いきなりそんな崇高な境地に至ったわけではない。

 

 相変わらず、血の気は多かったし、ケンカに巻き込まれて死にかけたこともある。逆に、そういう怖い経験をしたからこそ、調和の世界に強い憧れを抱くようになったのかもしれない。

 

 誰かが、何かの本の中で、

 

 「何事も中途半端に終わらせず、極限までやれば、必ず何かが見えてくる。」

 

と書いていた。本のタイトルも、著者の名前も忘れてしまったが、彼の言う通りだと思う。もしかしたら、私の生き方は、間違っていたのかも知れない。だが、私は、このようにしか生きて来れなかったし、これからも自分の生き方を変えるつもりはない。

 

 波瀾万丈の人生だったが、少なくとも、退屈だけはしない人生だった。その事だけは、天に感謝している。

 

 

 Good luck with your martial arts training !

 

 Let's meet again if we have a chance !

 

 

 

※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=2985

 


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  • 2019.07.30 Tuesday
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