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「師」をどう見るべきか: 健全な師弟関係を

JUGEMテーマ:空手道

  師の在り方とは何でしょうか。師とは弟子に自らの知識や技術を教え、弟子の成長を導く存在です。しかし一方で師自身も成長途上の一修行者であり、常に自分自身を高める努力を惜しまない存在であるべきです。このような姿勢に人は感服し、「この師に学びたい」と思い弟子となるのです。

 さてここからが大事な点となりますが、弟子は師のことを決して神格化して見てはいけません。師とは往々にして、自分の価値観では図ることのできない能力や技術を有しているものです。確かに師は自分にとって思わず崇拝してしまいたくなるような存在であるかもしれません。しかし、これでは不健全です。そのように師を崇拝したがる人に限って、努力の仕方が甘いものです。素晴らしい師についていることに満足してしまい、努力を怠ってしまうからです。

 以前、私の師が仰いました。どんなに超人的な技を使う師匠でも「将来の自分の可能性の一つ」として見ることが健全な師への接し方なのです。今は無理だけど、努力すればいつかは追いつけるといった、現実的な努力目標として師と向き合うべきなのです。

 これは師の立場からしても健全で、そして望ましい接し方であると思います。自分のことを神のように見られることに喜びを感じるような師は普通いないでしょう。自分自身の成長に興味のある人は、一般的に自分のことを大したことがないと思っているものです。他人からの過度の賞賛は、自己イメージとのギャップにより、居心地が悪く感じてしまうものです。

 しかし、もし弟子から崇拝されたいという欲求が強い師がいたとしたら、その人はもはや自分自身の成長に向き合ってはいない人だと言えるでしょう。これはちょうど自分を大きく見せようと、社内の飲み会でいかに自分がすごいかを恥ずかしげもなくしゃべっているサラリーマンと同じことをしているようなものです。

 本当の師とは、弟子との適切な距離感を掴めており、遠過ぎて崇拝の対象になることなく、また近過ぎて弟子に侮られることもなく、適度な間合いを保っているものです。言い換えれば、一見すると「ふつう」に見える人かもしれません。すなわち分かる人には分かる、と言ったところでしょうか。

 これから道場を探し、師を見つけようとしている方は、ぜひ次のことを明記しておいて欲しいと思います。見た目の豪快さや派手さも心惹かれる要因ですが、それだけを判断材料にすると往々にして失敗します。本当の師は思いのほか淡々と、静かな気迫をまとっているものです。

 また歩く姿や立ち姿、そして演武の際の足運びなどにこそ「熟練」が見え隠れしています。あまりに「ふつう」に見えることから、はじめは「すごい」とは思えないかもしれません。しかし過剰な期待で自分の目を曇らせず、冷静に時間をかけてその人の人柄を理解していけば、間違いなくその人を「将来の自分の可能性の一つ」として見ることができるようになるでしょう。師とは一目ぼれで出会うものではありません。互いに時間をかけ、互いに理解し合う中で自然と生じるのが真の師弟関係というものではないかと思います。

                                  (翔の作品)




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  • 2019.11.05 Tuesday
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