前回の「トイレ」に引き続き、中国で忘れられない思い出の一つは「列車」だ。
都市間の移動においては、飛行機よりもバスよりも最も安価な列車が庶民の足となる。
中国の列車にもランクはいろいろあるが、一番強烈なのは最低ランクの「硬座」だ。
読んで字のごとく、「硬い座席」だ。
これに20時間も腰をかけろと言われれば、誰もが躊躇する。
最長では52時間乗りっぱなしだった人の話も聞いた。
しかし、安いから仕方がない。
乗るしかないのだ。
列車の座席は向かい合って座るため、知らない人同士でも自然に友達になってしまうことが多い。
自分で車内に持ち込んだ食べ物を知らない人に分けたりすることも自然に行われる。
こういう座席配置は、日本だと気まずい思いがするが、中国では人見知りしてたら生きていけないので、近くの席の人には遠慮なく話しかけまくる。
「どこまで行くの?」
「どこ出身?」
「仕事は何やってんの?」
「今おいくつ?」
「給料はいくらもらってる?」
などと、日本では普通だったら考えられないような会話が展開されている。
「どこから来たの?」と聞かれて「日本から来た」などと答えようものなら、周りから容赦なく怒涛のごとき質問攻めである。
誰かがいちいち周囲に、「おーい、ここに日本人が乗ってるぞ!」とアナウンスしだしたら、もう大変だ。
「おまえ中国語うまいなー」(外国人への第一声はこれだ。)
「なぜ中国に来た?」
「日本では給料どれくらいだ?」
「家族と離れてさびしくないか?」
「日本にもアイスクリームはあるのか?」
「南京大虐殺って知ってるか?」
これは極端な例だが、みんな列車の中ではヒマなので、それぞれ思い思いの時間をすごす。
お菓子や果物をつまんで時間をつぶす人が多いが、ゴミが出ると床に投げ捨てるか、窓の外へ放り投げる。
りんごの皮、ビール瓶、ひまわりの種、汁が入ったまんまのカップめん・・・・
気がつけば床にゴミが散乱している。
そして列車の中でツバやタン、そして手鼻のあと・・・
とにかくありとあらゆるものが床に散乱している。
何時間に一回か、車掌が掃除して回るのだが、それでもすぐに汚くなる。
さらに集めたゴミは結局窓の外へ放り投げられる。(意味ねえ!)
列車のトイレは水洗ではなく、かといって汲み取り式でもなく、排泄物をそのまま車外に落とす仕組みになっている。
だからトイレのドアには「停車中はトイレを使用しないで下さい」と書いてある。
駅で停車中に用を足されては、駅が悪臭を放つからだ。
つまり、列車の沿線はゴミと排泄物だらけということになる。
中国の座席は全席指定だが、座席の切符が買えずに、「無座」といって立ちっぱなしでいいからとにかく乗りたい人のための切符もある。
(ちなみに私は3時間だけ立ちっぱなしを経験したことがある。)
そのため、ギュウギュウ詰めのまま夜行列車が走る場合もある。
席があれば座ったまま寝ればいい。
しかし席のない人は我慢するか、椅子の下にもぐって新聞紙を敷いて寝るのだ。
そして朝になったら何食わぬ顔で座席の下からゴソゴソ出てくる。
しかも女の人も平気でこれをやってのけるから凄い。
朝早く、勇ましい音楽とともに、ニュースが車内を流れる。
みんな眠いのに、ニュースは大音量である。
「みなさん、おはようございます!ニュースをお伝えします!江沢民国家主席は…!」
誰かが「うるせえ!」と吐き捨ててスピーカーのスイッチを切った。
そしてまた同じ一日が始まるのである。
こういう状態に何時間もいると、普通の人間ならおかしくなるところだが、それでも平然としていられるのが中国人民の逞しいところである。
実際、発狂して泣き出して、車掌になだめられるオバサンを見たことがある。
私も息が詰まる思いがして、列車の連結部分のところでブルーハーツを歌っていた。
文字通り「気がーくーるーいーそーう」という感じだった。
読者の中には、「そんな列車に乗ってられっか!」という声もあるだろう。
しかし飛行機で移動するのでは、中国大陸の広大さは実感できない。
列車で何時間もかけて移動してこそ、この国のでかさが分かるというものだ。
何しろ飛行機よりも何十分の一という値段が魅力だ!
ちなみに長春〜ハルピン間は3時間で20元(当時のレートで320円ほど)であった。
また経済発展が著しい中国では、所得の増加とともに、こういう列車もおそらくは徐々に減っていくであろうと思われる。
昔は日本もこういう座席だけの列車で夜を明かす時代があった。
30年後、この「硬座」を経験した中国人や私のような外国人も、「そんな乗り物があったなあ」と懐かしむ日がやってくるに違いない。 (仁の作品)