武道の智恵 掘  崋蕁η法ξァ廖´

JUGEMテーマ:空手道


  次の段階は「破」であります。通常の定義では、ここから弟子は師の教えてくれた型を文字通り破る段階に入ることになっていますが、私の考えはちょっと違います。
 

 私が弟子や学生に教える時は、約束組み手を含めた基本型の応用を教え始めた時点から,少しずつ「破」を許していくようにしています。先の「守」の段階でも述べましたが、本人の個性があるので、こちらが教えた応用型が本人にいつもマッチするとは限らないからです。

 茶帯から黒帯に入る段階から、こういう状態になるので、初めはいくつかの応用型をこちらが提示して本人に一番使い易い変化応用型を選択してもらいます。時々は、その場でその人の個性に合った使い方を思いつくこともあります。いずれにせよ、この段階から少しずつ師の使う型とは違う自分の個性にあった応用を弟子や学生は身につけていきます。
 

 こうして徐々に、窮屈な型の稽古から、弟子や学生を解放し始めていくのです。これは、ちょうど子供に自転車の乗り方をマスターさせる時のやり方とよく似ています。最初は、後ろの荷台を掴んで自転車が倒れないように支えてやりながら後ろから本人が自分で運転できるようになるにつれて、後ろの荷台を掴んでいた手を徐々に放していくのです。最終的には子供は自分で自由に自転車を運転できるようになります。
 
 私の流派では、茶帯から黒帯になると組み手が始まります。それまでは、約束組み手、演武型の分解・応用また組み手の一場面を切り取った断片的な実戦練習をやるのみで、本格的な組み手は殆どやりません。

 どこの流派でも同じだとは思いますが、組み手が始まれば、修行者は自分で自分の組み手を創り上げていかなければなりません。自由組み手に入るまでは、ある程度体系的に教えることができますが、一旦自由組み手が始まれば、各修行者は自分で自分の戦い方を試行錯誤を通じて掴まなければなりません。
 

 ここまで来ると、師匠ができることは助言程度です。さらに、言葉による論理的な教えよりも、むしろ非論理的な教えの方が重要になってきます。(この点については、2008年の2月に書いた「以心伝心」(http://koshiki.jugem.jp/?eid=91)に詳述しておりますので、そちらをご参照下さい。)
 

 また、仮に師匠が自分の戦い方を教えたとしても、それはあくまで師匠自身の戦い方であって、弟子がそれを猿真似しても組み手には勝てません。人間は一人ひとり顔が違うように、組み手も十人十色なのです。このことは、学問における師弟関係や、実人生にも当てはまることかもしれません。
 

 読者の皆様にご理解頂けるかどうかわかりませんが、中国拳法の老師がよく口にしていたのが、「古式の先生の教え方は、支離滅裂だ」ということです。これは、どういうことかというと、組み手の全体像というものを掴ませるには、本人が気づくようにヒントを与えていくしかないので、多面体の一面、一面を説明するようなことしかできないということです。このアナロジーでご理解頂けるでしょうか?多面体の一面は、多面体そのものではありません。組み手の全体像を掴むのは、この多面体を全体として認識することとよく似ています。しかも、この多面体が生き物のように時々刻々その姿を変化させるから、また話がややこしくなるんですが・・・。
 

 話を元に戻します。ですから、組み手の体系のある一面と別の一面は全く関連性がないように思えるのです。つまり、弟子の側からすると、自分の師匠が一見支離滅裂な教え方をしているような印象を持つことになります。
 

 師は組み手の体系の一面、一面を弟子が全体像を大まか把握できるまでヒントを与えるように指導していきます。弟子は、そのヒントを元に、自分で組み手という名の「現実」と格闘しながら、直観的に組み手の全体像を把握し始めます。最終的には、(本当は最終的じゃないんですが)、弟子は組み手や実戦の全体像を掴み、自分の組み手・自分の戦い方を身につけます。
 

 師は、弟子をドアのところまで案内するに過ぎません。そのドアのノブを回し、ドアを開け、中に入るのは弟子自身がやるべきことです。
 

 ですから、「破」というのは、自然に起こるものだと私自身は考えています。最後に、師がよく口にされていた言葉を皆さんに送り、△猟め括りとさせて頂きます。
 
 

 「基本は舐めるように丁寧に教える。だが、真髄は自分で掴め。」

 「守・破・離」のでまた、お会いしましょう。それまで、お元気でお過ごし下さい。



※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=186

武道の智恵 掘  崋蕁η法ξァ廖 ´

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  昔から武道も含め、芸ごと全般の修行のあるべき段階が「守・破・離」であります。まずは以下の文章をお読み下さい。
 

 「守は、まず師からの教えを忠実に学び、型や作法、知識の基本を習得する第一段階。
 破は経験と鍛錬を重ね、師の教えを土台としながらも、それを打ち破るように自分なり
 の真意を会得する第二段階。 離はこれまで教わった型や知識にいっさいとらわれるこ
 となく、思うがままに至芸の境地に飛躍する第三段階。」 
                    (Yahoo! Japan 智恵袋ベストアンサー)

 上記のような考え方が、一般的な「守破離」の概念であります。もっとも、これもいろいろな解釈がその後考え出されて、これが「守破離」の正しい概念だと断言できるものはありません。ここでは、私の個人的好みで選ばせて頂いた「守破離」の概念を使って、師についてから一人立ちするまでの過程を詳しく述べていきたいと思います。
 
 まず「守」の段階ですが、これは上記の定義と同じ立場を取っています。ただし、空手や拳法の場合は、個人の肉体的な特徴や体質が大きくその動きを制約するので、相手によって教える型を変えなければならない時もあります。といっても、これはある程度基本をマスターしてからの話ですが。
 

 もしくは、修行者自身が自分の体格や性格にあった流派を初めから選ぶかです。背が低くガッシリとした体格でまっすぐな性格の人には剛柔流や八極拳が合っているでしょうし、背が高く痩せ型で機を見るに敏な人には小林流空手や少林拳などが向いているでしょう。また中肉中背で人とぶつかるのを余り好まない性格の人には和道流空手や八卦掌が練習しやすいでしょう。(最もこういうステレオタイプ的な分類が全ての場合に適用できるわけではありませんが・・・)
 

 いずれにしても、師についたら心を赤ん坊のように真っ白にして只管基本の型を身につけなければなりません。長い歴史の中で継承されてきた型というものには一切の無駄がありません。とても合理的かつ効率的です。型を身につける段階では、個性が顔を出せる余地はほとんどありません。今まで日常生活や他のスポーツで培った動きを一旦否定して、最初は不自然に思える動きを自然なものにするまでには、日々の弛まぬ努力と時間が必要です。
 
 ただし、練習不足と同様に練習過剰もいけません。理想を言えば、稽古は週三回程度集中して行った方が効果的です。毎日練習するとオーバーワークになりかねませんし、型を身につける際にも逆に時間が掛かってしまうからです。休みながら、鍛えたほうが体に※超回復のための時間を与えることにもなりますし、技術的にも神経に調整の時間を与えることができます。
 

 こういうと、真面目な修行者の方々からお叱りを受けそうですが、これは紛れもない事実です。私自身、長年休みながら稽古を続けています。それで必要以上に体力が落ちたり、技術レベルが低下することはありません。私だけではなく、同じ程度の才能を持つ二人の弟子を選んで、実験してみました。真面目な人には、毎日練習させ、武道以外のこともやりたい人には、週3回だけ練習してもらいました。(ただし週3回練習する方には、やる時は集中して真剣にやるように注意しました。)一年後の結果は、週三回だけ練習していた人の方が、体力的にも技術的にも毎日練習していた人よりも向上していたのです。同じことを他の弟子でも試してみましたが何度やっても結果は同じでした。
 

 型を師の教えに忠実に従って、自分の身に着けるべき「守」の段階においても、バランス感覚が要求されるのです。
 

 この段階でもう一つ述べておかなければならないのが、所謂「黙念師容」の概念です。「黙念師容」とは読んで字の如く、「黙って心に映し取る師の姿や動き」のことであります。師が指導して下さる際の言葉による説明をしっかり聞いてそれを実行することも必要ですが、師が稽古の合間に見せる何気ない動きを心に焼き付けておくことも必要です。

 古式の動きには独特の雰囲気があります。一見師の癖に見える動きが実はキチンとした論理的裏付けのあるものであることが多々あるのです。勿論表面的な猿真似はいけませんし、同じ動きができるようになるためには年季や口伝も必要でしょう。しかし、そういう動きを心の中に焼き付けておくことは必要です。
 

 次に自分自身が同じ雰囲気で動いているイメージをありありと心の中で再生するように努めなければなりません。そのきれいな自己イメージが現実の稽古において修行者をそこまで連れて行ってくれるからです。

 △痢崘法廚任泙燭会いしましょう。それまでお元気で・・・。


 ※「筋力トレーニング後に24〜48時間くらいの休息をとることによって起こる現象で、
  休息の間に筋肉の総量 がトレーニング前よりも増加することをいいます。」
   (http://www.cramer.co.jp/training/rest_3.html



※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=181









武道の智恵 供  峪闇かけて良師を探せ」

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 どんな分野、どんな仕事においても、ちゃんとした指導者が必要です。指導者なしでは、よほどの天才でない限り、迷路に迷い込んでそこから抜けれなくなるか、袋小路に辿り着いて元来た道を後戻りしなければならなくなるのが落ちであります。
 

 歴史的な総合芸術と言っても過言ではない武道の場合は、尚更のことのように正しい指導者の存在が欠かせません。歴史的な技術と心を受け継いだ正統な師匠を探し出し、指導を受けることが許されれば、それだけでもう修行の半分は終わったようなものです。

 後は、赤ん坊のように真っ白な心で、師匠の言葉を受け止め、教えを自分自身の経験の中で主体的に再確認していけばいいだけです。
 

 しかし、現実には中々いい師匠に巡り会うことができません。もし、いい師に巡り会うことができないからと言って、適当な人につけば、悪い癖や誤った先入観を植え付けられてしまい、後で正統な武道を学び始めてもそういう癖や先入観を取り除くのに苦労することになってしまいます。ですから、昔から中国には「三年かけて良師を探せ」という言葉があるのです。
 

 私自身、最初に通った剛柔流空手の道場が随分酷い道場だったので、あとでかなり苦労しました。一年ほどそこに通った後、そこを辞めて自分でいろんな道場を探しました。今のようにまだインターネットも普及していない時代でしたので、随分苦労しました。
 

 私自身がどうやって、正統な空手・拳法の師匠に出会ったのかは、また別の機会に述べさせて頂くことにして、ここでは正統な師匠に出会う前にやっておくべきこと、あるいは正統な師匠を見つけるために必要な眼力を養うにはどうすればいいか等について、些か私の愚見を述べさせて頂きたいと思います。

 ゴタゴタと小難しい屁理屈を並べても時間の無駄なので、以下に必要事項を箇条書きさせて頂きます。

  \安留 淵イロプラクティック)に行って体の歪みを矯正しておくこと。

  古式武道のビデオやDVDを見て、古式の雰囲気を体で覚えておくこと。

  I畸覆ら、身辺の整理整頓・掃除を心掛け、己の「気」を清浄に保っておくこと。

  ね想の師に出会い、教えを受けている自分自身のイメージを奇麗に思い描くこと。


 ,魑鵑欧燭里砲蓮∋阿弔陵由があります。
   

   (ア)体が歪んでいると、中々技が上達しない。

   (イ)体の歪みのせいで、左右の構えの安定性に大きな違いが出てしまい
    組み手で不利になる。

     
    (ウ)背骨や骨盤の歪みが頭蓋骨に圧迫を与えるため、恐怖心の克服が困難になる。

 ,痢淵Α砲楼娚阿忙廚錣譴詁票圓諒もいらっしゃるかもしれません。「福岡武道物語」の白鶴拳に登場した私の友人のM君は、現在北九州の方でカイロプラクターとして活躍しております。彼が教えてくれたところによりますと、内臓が弱ったり、悪くなったりするとそれを保護しようとして脊柱や骨盤が歪み、その歪みが更に内臓に負担をかけ、それがまた歪みを助長するとのことでした。更に悪いことには、脊柱や骨盤の歪みが頭蓋骨にも圧迫をかけてしまう結果になってしまうとのことです。これを専門用語で「内臓反射」と呼ぶそうです。
 

 水をいっぱい入れたビニール袋の端を引っ張れば、袋の反対側まで引っ張られるのと同じ原理だとM君は説明してくれました。人間の感情を司っている脳に圧迫が与えれるわけですから、当然感情生活にも悪影響を与えます。感情の起伏が激しくなり、やたらに怒りっぽくなったり頑固になったりすることもあるそうです。私自身や弟子たちの経験からすると、体の歪みがある時は中々恐怖心を克服できず、歪みが直ってからは、不思議なくらいに恐怖心が湧いて来なくなるようでした。
 

 △蓮△笋呂衙槓のビデオやDVDを何度も見ておくことが、武道修行者としての感性を磨くのに不可欠だと考えたためここに挙げさせて頂きました。お勧めは、映画「ベストキッド」、新里勝彦先生のインターネット上の動画・横山和正先生の武器術のDVDなどであります。武道でなくても、東西の一流といわれる舞踏家の映像を見ておくことも感性を磨くのに役に立つでしょう。

 キチンとした眼力を養っておけば、どの先生が本物で、どの先生が偽者かの区別はすぐにつけられるようになります。

  また古式武道や伝統芸能の雰囲気を心に映しとっておけば、後で師についた時に師が見せてくれる動きがスンナリ体と心に入ってくるようになります。
 

 8甜杏霪擦瞭阿の原点は、労働における合理的かつ効率的な体全体の使い方であります。狩猟採集や農耕生活における正しい足腰の使い方が武術ばかりでなく舞踊にも影響を与えてきました。また、「気」を練ったり使ったりするためのイメージトレーニングも人間の日常の動作の中から生まれました。ここら辺のことは、映画「ベストキッド」シリーズの中で描かれているので、まだ御覧になられていらっしゃらない方は、是非御覧になることをお勧めいたします。

 また身辺を整理整頓しておく習慣をつけておけば、頭の整理をするときにも必ず役に立ちます。(この点、最近「男やもめに蛆が湧く」状態の私自身深く反省しております。反省(>_<)!)

 い海譴蓮△い錣罎詬J的なものの見方をされる読者の方には、受け入れがたい思想かもしれません。ここで私が述べているのは、いわゆる「想念術」のテクニックであります。瞑想の実習によって心を無にした時に、強い願望とともに奇麗な絵を思い描くことができれば、その絵は遅かれ早かれ実現します。想念術は、武道の真正な師匠に巡り会うためのツールとしても応用可能です。
 

 ただし、願望が実現するまでは決して自分の夢やアイディアを人に話してはいけません。日本語では、「成る」(実現する)は「鳴る」(音が鳴る、つまり話す)と同じ発音です。つまり、音声で何かを言ってしまうとそれは実現したことと同じになるのです。

 以前、水泳の鈴木大地氏がオリンピックの決勝の前に、インタヴューでどんな作戦を考えているかを聞かれた時に「秘密です」と答えていらっしゃいました。その後、テレビで「もしあの時、自分の作戦を言ってしまったら、何かが壊れてしまう気がしたので、ああいう失礼な答え方になってしまいました」とおっしゃっておられました。鈴木氏は想念術と音声の関係を直観的に悟っていらっしゃたんだと思います。

  現在、いい指導者に恵まれていない方、焦らず気長に師を探し続けられて下さい。「弟子に準備ができた時、師は必ず現れる」とは昔から言い古されてきた言葉であります。「急がば回れ」と言う言葉もあります。師に巡り会う前に、自分でできることがあります。 銑をしっかりやっておけば、師匠について学び始めた時に、かなり時間を節約できるでしょう。あなたにしっかりと基礎ができているので、師匠はその部分を飛ばしてあなたに教えることができるからです。

 以上、「良師を探す」というテーマで些か私見を述べさせて頂きました。私の愚見が、少しでも皆様のお役に立てれば幸甚です。
 

 昨日のアクセス数はお陰さまで100という数字でした。ハッキリとした手応えを感じることができたので、シリーズ化に踏み切ることにいたしました。道を求めておられる皆様方がいい師に巡り会われますように・・・。(合掌)
 

 またお会いしましょう。それまで皆様お元気でお過ごし下さい(*^_^*)

 

URL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=180

 


武道の智恵 I   「山籠り」

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 武道家はなぜ山に籠るのでしょうか?
 昔の武芸者が山に籠ったのは、果し合いで人を殺し過ぎて、相手の親族や友人の恨みを買い、命を狙われたからです。こういう状態になったら、誰も知らない場所に行って、ほとぼりが冷めるまでそこにジッとしているしかありません。
 極真会館の創始者である崔永宜(チェ・ヨンウィ)氏が、暴力団との揉め事のせいで、命を狙われて山に籠ったというのは、有名な話であります。
 
 

 武道家が山に籠るもう一つの理由は、肉体改造や意識の拡大のためであります。肉体改造に関しては、翔君が本ブログで述べてくれると思うので、ここでは意識の拡大についてのみ述べさせて頂きたいと思います。
 

 どんな仕事、どんな分野でもそうだと思いますが、一つの世界に慣れてくると陥りやすいのがマンネリではないでしょうか?武道の世界も例外ではありません。武道家は、このマンネリズムから脱却するために山に籠るのです。それまでの対戦経験を振り返り、敗北経験はもちろんのこと、冷や汗をかいたような辛勝経験を振り返って、自分の意識の外に存在していた事実を拾い集め、その事実に共通する法則性を見出し、自分自身の中にあるsystem(体系)の再体制化を図るために、山に籠ったり、一時道場稽古から身を引いて一人稽古に勤しんだりするのです。

 では、山に籠ったり、一時道場の練習から身を引いたりして、頭を整理しなおす時には、どうすればいいでしょうか?どのような方法論が必要になるでしょうか?
 ここで、私が使用しているツールを二つほどご紹介したいと思います。

 まず、私が「経験の整理」と名付けた方法をご紹介します。これは、武道だけではなく、他の分野にも応用が効くアイディアだと思います。


ー分自身の失敗体験を振り返り、また同じような状況に直面したら、どう対処するかを細かくシミュレーションしておく。

∋廚そ个擦觚造蠅梁梢佑亮最埖慮海鮖廚そ个掘△發啓分が同じ立場にいたら、どうするかを細かくシミュレーションしておく。

人から言われた忠告を思い出せるだけ思い出しておく。特に、お互いに全く面識のない二人以上の人間から言われたことは、要注意である。なぜなら、誰が見ても自分にはその欠点があるからである。

げ甬遒房分の周囲にいた人たち、また現在自分の周囲にいる人たちの長所と短所を全て書き出しておく。長所はできる限り自分の中に取り込むように努め、短所は反面教師とする。

 
 過去の組み手や実戦から学ぶために必要なことは、敗北や辛勝経験を科学的に分析することです。分析においては、一切の先入観を交えず、事実をありのままに眺めなければなりません。
 
  敗北や辛勝の原因は大きく分けて3種類あります。
   
   ‘体的原因

   技術的原因

   精神的原因

 自分や他人の組み手や実戦経験をその都度、分析してそこから教訓を得ることができれば、ただ感覚だけに頼って稽古している人たちに、かなり差をつけることができるでしょう。それでは、この三つの原因の詳細を見てみましょう。

 ,瞭体的原因には次の事項が挙げられます。
   

    a. 疲労
      (ア)睡眠不足
 
      (イ)オーヴァーワーク

       b. 怪我
      (ア)試合前の怪我
     
      (イ)試合中の怪我
  
   c. 病気

   d. 体力不足もしくは耐久性不足

 △竜蚕囘原因には次の事項が挙げられます。
   

   a. 組み手や実戦における正しい技術を学んでいなかった。

   b. 正しい技術を学んでいながら、組み手や実戦で使わなかった。もしくは使えなかっ
    た。
     

     (ア)単なる物忘れ

     (イ)反復練習の不足

     
 の精神的原因には次の事項が挙げられます。
   

   a. 恐怖
 
   b. 驚き

   c. 迷い

   d. 疑い
 
   e.不注意

   f. 油断


  今のところ、私が考え付く敗北もしくは辛勝経験の原因は以上のようなものです。他にも考えられるかもしれません。あるいは、また別の体系で整理できるかもしれません。
 
 

 先に紹介させて頂いた「経験の整理」と組み合わせれば、武道に対する洞察を深めることができ、頭も整理されてより効率的な稽古プランを立てることができるでしょう。私の愚見が道を求める方々のお役に立つことができれば、私としてはこれに勝る喜びはありません。
 
 

 なお、タイトルを「武道の智恵機廚箸靴泙靴燭、これをシリーズ化するかどうかは、今のところ未定です。ここのところ、詩ばかり書いていたので、たまには長い文章を書いてみたくなってこの文章を書かせて頂いたような次第です。手応えを感じれば、またこのシリーズで皆様にお会いできるかもしれません。
 
 

 最近創作意欲が枯渇気味ですが、Dragon World (龍の世界)の方も時期を見て再開するつもりです。ご期待下さい。それまでお元気で・・・(@^^)/~~~



※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=179
 

 

     


なぜ武道をやるのか 其の4 −日本文化を体現するため−

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 このシリーズ最終回は、「日本文化を体現するための武道」というテーマでお話しします。
 
 そもそも私が武道を始めたのは大学4年生からと遅いのですが、この歳になって武道の道を志したのにはそれなりの理由がありました。それは二十歳の頃、大学3年生のときです。夏休みも後半に差し掛かった8月30日より、カナダのオンタリオ州ハミルトンという街に交換留学で9ヶ月ほど滞在することになったのです。このハミルトンという街はトロントとナイアガラの滝の中間に位置し、五大湖のひとつ、オンタリオ湖に面する人口約30万の街です。そこにマクマスターという大学があり、この大学で言語学とコミュニケーション学を学びました。これまで念願だった英語で学ぶという経験、多様な国籍を持つ友人たちとの関わり、そしてカナダの壮大な自然などを楽しみながら、時間はゆっくりと過ぎていきました。

 さて、このハミルトンという街はカナダの内陸部にあり、1月の平均気温はマイナス約10度です。カナダの中でもそれほど寒いというわけではありませんが、細身の自分にはなかなか堪える気候です。 そのため室内で一日を過ごしがちになることから、運動不足の解消にとキャンパス内にあるジムの会員になり、週に3日のペースでトレーニングをすることにしました。たいてい午後の講義が終わり、夕食前の時間にジムに行くようにしていました。

 そしてある日の帰りがけのことです。体育館のそばを通りかかったとき、フロアーから威勢のいい掛け声が聞こえてきたのです。どこか馴染みのあるような、そんな掛け声のリズムに引き寄せられるようにフロアーを覗いた時、自分の中で時間が一瞬止まってしまいました。そこでは空手の稽古が行われていたのです。師範は金色の髪をしたカナダ人、そして生徒もほとんどがカナダ人でした。そこには黒い髪をした日本人は一人としていなかったにも拘らず、号令の数字だけは日本語でした。彼らの稽古を自分の目で見、彼らの掛け声を自分の耳で聞いた私はまるで居場所を奪われたかのような心境に陥りました。

 このように日本の文化である空手が海外に普及していることは大変喜ばしいことではありますが、日本人の自分がそこにいて、しかも自分の知らない日本文化を見せられるというのは何とも居心地の悪いものでした。これまで英語を一貫して勉強してきましたが、カナダの大学に入った瞬間に英語はできて当たり前。結局日本人として何を伝えることが出来るのかという問題にぶつかってしまったのでした。

 さらに2月、これに追い討ちをかけるできごとが起こりました。カナダは非常に民族的に多様であることから、マクマスター大学内にも多数の留学生がいます。そしてそれぞれの文化を紹介しあうイベントとして"Multicultural Extravaganza" という一大催し物が学内で開催されたのです。

 ここで驚かされたのは、各国から集まった留学生の数が非常に多いこと、そして各国のショーが同年代の若者が表現しているとは思えないほど完成度が高かったことです。たとえば中国なら巨大な獅子舞、ブラジルならサンバとカポエラ、ハワイはハワイアンダンスと観る人をその国の文化に引き込むような、素晴らしい演舞が続きました。

 そして約20カ国のショーが終わった頃、さてさて、日本は何を披露したかというと...。何もなし、でした。もともと日本人の留学生数が5、6人程度でしたから仕方なかったかもしれません。 それでも、日本人でありながら、日本文化を何も体現できない自分に向き合うことになったことは大きなショックでした。

 この、日本人として自分を表現する術を持っていないという悶々とした気持ちは帰国後もずっと消えないままでした。そして帰国から4ヶ月がたった大学4年の9月、留学生向けに空手の授業が開講されると知り、聴講生という扱いですぐに受講の申し込みをしました。 これが空手との出会いです。ここでは剛柔流を学び、その後古式空手との出会いがありました。現在はこの古式空手と8ヶ月前より始めた沖縄小林流を稽古しています。

 いつかまたカナダに戻ったとき、自分は日本人であると自信をもって言えるように − この気持ちを胸に秘め、日々の稽古に全力を注いでいます。海外に出てはじめて日本人の自分を意識する。そして世界に誇るべき日本文化の素晴らしさを知る。足元にあるがゆえに見過ごされる花、空手はちょうどそのようなものです。

 空手の表面的な要素を見るとスポーツに見えますが、空手は武道です。一つひとつの動きや技、そして型を習得していく過程で得られるものはただの強さだけではありません。言葉で表すのは難しいのですが、それは「先人との対話」とでも言えるべきものを含んでいるのです。今後も、武道の奥深い世界を具体例を紹介しながらお伝えしていきたいと思っています。

 最後までお読み頂き有難うございました。またお会いしましょう。  (翔の作品)


※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=161


なぜ武道をやるのか 其の3 −論理的思考能力の向上−

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 「なぜ武道をやるのか」 シリーズの3回目です。ここ半年は仕事にかまけ、随分と更新が滞ったままでした...。

 さて今回のテーマは武道と論理的思考の関係です。ここでもしかすると、なぜ武道に思考力が必要なのかと不思議に思われた方もいらっしゃるかもしれません。しかし頭を十分に活用せずして武道の上達は望めないのです。野生的な直観力だけで強くなり続けられるのはごく一部の天才くらいでしょう。  

 一般的には10年、15年とやって、ようやく二段や三段に到達という人もざらにいます。これは物事の上達においてはただ年月の流れるままにまかせるだけでなく、頭を積極的に活用せねばならないということを示す一例でしょう。現在通っている道場の師も、あるとき「技を理屈で理解することも大事」と指導中に誰に向かっていうでもなく言われたのを覚えています。

 それでは本題に入っていきましょう。あらゆる武道に共通した原則として、組手・乱捕りでは無念無想、つまり考えず、体が自然に動くのに任せるというものがあります。

 しかしいったん組手から離れたら、頭を使い技を組み立てるという作業を行わなければいけません。これはもちろん、ただ毎回その場その場の動きにまかせるだけでは、上達が望めないからです。

 この作業の段階では一つひとつの動き、技の組み合わせを論理的な頭を使い組み立てなければなりません。ある動作Aを行ったら、それはどのような結果Bにつながるのか、そしてさらにその結果Bからどのような展開Cが想定されるのか、という先を予測する作業を行います。ここで予測した展開が有効であればそれは技として練り上げればそれでよし。もし途中で相手に反撃される可能性が高いことが分かれば軌道修正する、もしくはゼロに戻って考え直す。この繰り返しです。

 また、たとえばA → B → C → Dという連続的な流れにおいて、それが結局はA → B' というちょっとしたアレンジを加えた2拍子の攻撃の方がシンプルで使いやすいと気づくこともあります。組手の組み立てはシンプルであればあるほど、実戦では有効なので、難しく考えないということも技の組み立ての上での基本事項です。

 さてこのような筋道立てた分析を応用し、組手の間合いについて考えてみます。間合いは単純に考えて次の3パターンに分けることができるでしょう。

   遠い間合い   → お互いの攻撃は届かない。呼吸の読み合いの距離。
   中間的間合い → お互いの突き蹴りが届きはじめる間合い。
   近い間合い    → お互いの距離は30 cm 〜40 cmくらい。

 ではここで質問です。この3つの間合いを安全な順番に並べるとどうなるでしょうか?

 武道の初心者の方はおそらくそのまま 遠い間合い → 中間的間合い → 近い間合いという順番にされたのではないでしょうか?相手に近ければ近いほど恐怖心を感じるのが普通だからです。 しかしここで分析してみると、これは必ずしも正しい答えであると言えないことに気付きます。

 自分を組手の視点に置いて考えてみましょう。遠い間合いが安全なのは当然のことですが、中間的な間合いについては相手の突き・蹴りの両方が届く距離であり、相手のパワーが強ければまともに受けたりはじいたりするのは大変骨が折れます。しかしここで一歩間合いを詰めてみるとどうでしょうか。恐怖心が先立ちますか?いえ、そうではなく2つのメリットが生じることに気がつきます。
 

 1つ目は、相手の突きや蹴りが伸びきる前、つまり技の出だしを押さえられるようになることです。これで相手のパワーは封じられます。中間的な距離では相手の突き・蹴りが伸び、そのパワーが最大になった瞬間を迎え撃つわけですから、その前に押さえられることのメリットは計り知れません。問題は小さいうちに対処、日常生活にも当てはまる教訓です。 

 そして2つ目は、相手の技の出だしを押さえることから、その先の変化を抑えることができるということです。たとえば蹴りの出だし(相手が膝を上げたとき)を押さえられれば、その後の前蹴り、回し蹴り、足刀蹴りなどの上段・中段への変化といった〈蹴り技の変化〉が起こる前に迷わず対処できるため、より安全です。

 ここまでの内容をチャート化してみますと次のようになります。

A (間合いを詰める) → B1 (技の出だしを押さえられる) → 従って、より安全になる。
                B2 (技の変化を抑えられる)

 またこの先の展開としては、近距離であることから相手を投げる、足払いをかけるといったことも可能になります。このような流れが予測できたら組手の練習をし、実際に有効な展開に持っていけるかを判断し、必要があれば修正するようにします。 ちなみに中間的な間合にいる状態で、不用意に下がってしまったらどうなるでしょうか?本人としては最も安全な遠い間合いに戻ろうとしているつもりでも、このAという行動の先には相手に前蹴りなどで追われるBという結果が待っています。この場合は逆に前に出るというのが正解で、先ほどと同様の理由から相手の懐のほうがむしろ安全圏なのです。

 ここでは例を一つしか挙げていませんが、他のあら揺る場面においても、武道の稽古は論理的な思考力を向上させるには格好の材料です。もし思考を誤れば「怪我」という分かりやすい結果が待ち受けていますので、しっかりと頭を使わざるを得ない状況に自分を置けるのです。武道で十分に頭を使っていると、普段からある行動Aがその先にどのような結果Bにつながるのかを自然と考える習慣が身につきます。その場の思いつきや感情的な判断で損しないという意味でも、武道は役に立つツールであるといえるでしょう。
                                 (翔の作品)



※この記事のURL: http://koshiki.jugem.jp/?eid=159

なぜ武道をやるのか 其の2 −精神力の強化と充実 後編−

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 武道の修行を通し、肉体面だけではなく、精神面にも変化が現れます。後編の今回は「内なる自信を得る」というテーマでお話します。これは実社会での生活に直接リンクする、武道の有益な点であると考えています。どうぞ最後までお付き合いください。

武道の稽古を通して、私たちは「内なる自信」を持てるるようになります。この内なる自信によって、外に見える形で次のような変化が起こります。

 (1) 相手の気迫に押されなくなる。
 (2) 卑屈でも、傲慢でもない中立的な心の姿勢を保てる。


 (1) 相手の気迫に押されない。

 武道の組み手・乱捕りにおいて、相手の気迫に押されてしまっては使えるはずの技も使うことができません。つまり武道的に強いということは、相手よりも技術的に勝っているだけではなく、「相手の気迫に押されない心」を持っているということです。

 ある新聞で次のような記事を目にしたことがあります。仕事の後、空手道場に通う女性が増えてきたというものです。これは護身術のためというよりも、ビジネスの世界で男性と同等に渡り合っていくための心の強さを身につけるためだということです。優秀な女性の方はたくさんいらっしゃるものの、男性が多数を占めるビジネスの場面ではどうしても気迫の面で圧倒されてしまう。そのような中で自分の意見を発言するのがためらわれるという方もいらっしゃるそうです。

 私は、この記事を見てなるほどと思いました。実際、性別には関係なく武道の稽古を積むことによって、相手の気迫に押されない心を手に入れることができるからです。たとえけんかになっても身体的に遅れを取らない、そのような自信を得ることによって「気後れする気持ち」が表情や動作に出なくなるのです。

 そして組み手の段階まで進むことができたら、その時は既に相手の目をしっかり見て、堂々と意見を言える十分な気迫を身につけているはずです。確信を持ってそう言えるのは、この私自身がそうだったからです。
 意見を言いたい場面は日常生活においても、仕事においても少なくありません。武道を始める前は言いたいことも、結局言えずじまいとなってしまうことが数多くありました。言いたいことを口に出来ないもどかしさというのは、私にとってストレスの一つでした。

 今このことを振り返ってみれば、私は自分の意見に自信がなかったから発言がためらわれたのではなく、人と堂々と向き合う心の強さがなかったからだと冷静に分析できます。誰かとアイコンタクトをすれば先に目線を外すのはいつも私であり、本当に自信がなかったのだと思います。同じような悩みを持たれている方は、ぜひ何か武道を始められることをおすすめします。


 (2) 卑屈でも、傲慢でもない中立的な心の姿勢を保てる。

 謙虚が行き過ぎると卑屈になります。自信も過剰になれば傲慢になります。
このバランスは意識するだけで取れるようになるものではありません。
やはり「体で理解すること」が大切です。

 卑屈も傲慢も、本当の自分の実力を理解していないことから生じるものです。これ以上でも、これ以下でもない。このように、己の明確な実力を知ることが大切です。武道では自分自身が強くなるにつれて、さらに大きな世界を知ることになります。

 私が初段のレベルに達し、二段に向けての稽古が始まったときの話です。師匠は初段の技術ではほとんど歯が立たない世界を見せてくれました。それは対ボクサーの戦いです。ボクシングのフットワークで自分に切り込んでくる師匠には全く手出しができず、自分の無力さを知ることになりました。

 さて、ここで私が学んだ大切な考え方があります。自分の初段の技術が通じない、これはある意味で初段の否定です。このとき、どのように考えるべきでしょうか?

 もしここで「初段の否定 = 自分はダメだ」と考えてしまうなら卑屈になります。しかし初段の技が通じないからといって、初段である自分の強さに変わりはありません。大切なのは「初段はボクシングには通用しない」という事実を認識することだけなのです。

「自分はここまでできる」という風に自分の実力を客観的に把握しておかないと、何かに失敗してしまったときには非常にネガティブな思考に捕らわれ、自分を落とせるところまで落としてしまいます。

 要するに、自信のある人とは、武道的観点から言うと「自分の実力を正しく理解している人」のことなのです。そのような人は「自分の力が通用しない」という場面に遭遇しても、「自分はここまではできる」という最低ラインをはっきりと知っているため、いたずらに心を乱すことはありません。そして自分の実力を正しく把握していれば、自分に足りない点もよく見えてきます。そのため、自信過剰になることもありません。この中立的な心の姿勢により周囲の人々に「心の安定性」を感じさせ、結果として「自分に自信を持っている人」と評価されるのです。

 最後になりますが、私はぜひ多くの人に武道を始めてもらい、稽古の過程で「内なる自信」を獲得してもらいたいと思っています。どのような人と向き合っても気後れしない内面的な強さを得、そして己の実力を正しく知ることにより、自分はこれ以上でもこれ以下でもないという中立的な心の在り方を体で理解してください。

 武道の稽古は人生についての多くの気付きを与えてくれます。
 それではまた次回、お会いしましょう。             (翔の作品)



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なぜ武道をやるのか 其の2 −精神力の強化と充実 前編−

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 皆さんは「武道」という言葉を聞いて、何を想像されますか?
 私が周囲の人たちから印象を聞く限りでは、武道 = 護身術という認識が殆どであります。実際スポーツ色の強い空手の流派が大多数を占める現在において、この認識は自然なものなのでしょう。

 実はこの私自身も、古式空手を始める以前はそうでした。武道と言えば肉体的な要素ばかりに目が行き、スポーツの素養が殆どないと感じていた自分には、全く縁のないものだと思っていたのです。(それでも私は、ある理由から空手を始めることになりました。この理由につきましては、このシリーズの第4回、「日本文化を体現する」でお話しさせて頂きます。)

 ところが、いざ古式の空手を始めてみると、肉体・技術面以上に、精神面に関する要素の方が圧倒的に多いことを知り、非常に驚かされました。信じられない読者の方もいらっしゃるかも知れませんが、古式空手の修行を通じて、私の性格は段階的に変化していきました。初心者から初段に至る過程が、特に劇的な変化であったと記憶しています。もともと大変内気な性格で人とは目を合わせて話すこともできなかった私が、今では英語の講師をしています。いつも目立たないように、人の後ろにポジションを取っていた私が、今では自然に職場でリーダーシップを取っています。また、その頃ちょうど仕事や人間関係、自分の将来のことなどで「どうすればいいのだろうか」という疑問を多く抱えていたこともあり、空手はこれらの疑問に対する大変多くのヒントを私に与えてくれたのです。もちろん師匠が私とって一番のメンターであり、師匠から武道の知恵をもとにした数々のアドバイスを頂き、それらを無我夢中で吸収し、実践していたことが今では懐かしい思い出になっています。


 前置きが長くなってしまいました。それでは本題の、「精神力の強化と充実」に入っていきたいと思います。今回は数あるテーマより次の2つを取り上げ、解説いたします。これらは私が武道修行を通じて得た経験の範囲のことでしかありませんが、皆様の参考になればと考えています。

  (a) 恐怖心を克服する
  (b) 内なる自信を得る

 この「恐怖」と「自信」というのは互いに表裏一体の関係にあるものです。日常生活にも大きく関わるテーマとして、この2つをまず取り上げるのが良いかと判断いたしました。


 (a) 恐怖心を克服する

 何かに恐怖を感じるという経験は、誰にでもあるものだと思います。しかしそういう場合、その恐怖の対象が実際に自分に危害を加えるということはどれほどあるのでしょうか?私の場合、その多くのケースが取り越し苦労に終わっています。

 先ほども触れましたように、私はもともと内気な性格でした。この内向的性格は、臆病でもあり、心配症でもあると言い換えることができます。実際、私は何かにつけて人や自分の将来のことを心配していました。心配とはつまり、人や自分自身を信じることができない状態です。

 以前、このようなことがありました。武道を始めて間もない頃、「受け」の練習をしていたときのことです。師匠が私の顔に向かって正拳を突いてきます。それを上段受けするというものでした。あまりに臆病だった私は、師匠の「大丈夫だから!」という言葉にも関わらず、受ける際に顔を仰け反らせ、大げさに受けの手を振り上げ、目をつぶるなどの無駄な動作を繰り返してしまいました。師匠からは「逆に危ない」と指摘され、次のような言葉で諭されました。

「恐怖を感じることと、危険を正しく認識することは全く違う。」

 ここでのポイントは、 まず私が師匠の言葉を信じきれていなかったこと、そして 正拳を「自分は受けることが出来る」と信じきれていなかったことです。結局私が感じていた恐怖とは、師匠と自分自身を信じることができない「心の弱さ」が原因だったのです。正拳自体が恐かったわけではありません。

 このような視点を得てからは、段階的にこの「恐怖心の克服」というテーマに取り組みました。というよりも、稽古の過程で繰り返し形を変えて出てくるテーマであるため、自然と取り組むことに「なった」という方が適切かもしれません。いきなり結果に飛びますが、初段を終え、二段の稽古に入った頃には自分の将来や目の前で起きる不愉快な出来事等に、いたずらに恐怖を感じることは殆どなくなりました。

 古式の修行ではとにかく恐怖心の克服を安全な方法でしっかりと行います。もし組み手や実戦で恐怖心が意識に上ってしまうと、相手を過大評価してしまい、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなり非常に危険だからです。

 前回のブログでも触れましたが、武道では相手の筋肉が付いていないところ、つまり体の中心線や顔面等を狙います。そのため相手の体が自分よりも大きいからといって、「絶対に勝てない」と思い込むのは的外れなのです。相手の実力を冷静な眼で観察し、分析しましょう。さもないと、相手の実力を過大評価してしまい、ありもしない幻の「強さ」を相手に与えてしまいます。これは実生活においても同様です。相手を冷静に観る癖をつけていないと、その人の肩書きや地位や見た目に簡単に騙されてしまいます。

 本当に危険なものは何か?それは自分が恐怖を感じる相手ではなく、恐怖を感じる自分の心なのです。自分の心としっかり向き合わない限り、外界における恐怖は決してなくなりません。恐怖心の出所は自分自身の心であるからです。心は、しっかり向き合うと必ず強くなります。忘れたい失敗や嫌な経験が心に刻まれた人でさえ、難しいことですが、空手を修行することによって必ず向き合うことが出来るようになります。この事に関しては「夢見」と「瞑想」というテーマが関わってきますので、また機会を改めて書きたいと思います。

 さて、ここでちょっと武道から離れ、恐怖心の克服が現実生活でどのように役立つかを考えてみましょう。例えば私は英語講師を職業としていますが、教えている生徒の8割以上は大学生です。有名国立大、私立大、さらにその中には英語を専攻としている人も少なくありません。武道を始めたばかりの頃は、「自分は彼らが期待する以上の付加価値を提供できるだろうか?」という不安がスッと心に入り込むことが多々ありました(不安とは恐怖と同じものだと私は捉えています)。そのため、いつも緊張し、どこか不自然な振る舞い方で授業をしていました。

 しかし武道の修行を行う中で、仕事や日常生活の中で起こる問題に対して無闇に不安を抱くのではなく、問題の本質を正しく見つめることができるようになっていきました。この時も同様です。生徒の英語力を正当に評価し、自分の英語力を冷静に捉えたとき、この「大丈夫だろうか」という不安は全くの的外れであったことが分かりました。
 生徒の皆さんは大学生といってもTOEIC500〜700点の学習者です。一方、私はと言えば、自分で言うのも恐縮なんですが、TOEICの最高得点はは975、英検は1級で、さらに通訳ガイドの資格も持っています。そして情報を発信するメディアとしての自分の喋りや振る舞い、英語を論理的に整理し分かりやすく伝えるというアウトプットのノウハウも日々磨いてきたつもりです。つまり生徒のことを真剣に考えて授業をしている限り、心配しなくても、自然に高い付加価値を提供できるようになっているのです。これが冷静に自分と生徒さんたちの実力を見つめて得た私の結論です。 

 以上のことからも言えるように、恐怖や不安を感じたら、それから決して逃げないことが肝心です。その対象としっかりと向き合い、よく観察すること。対象の本質を正しく捉えると、案外意味のないことに心を砕いていたんだと気付きます。武道の修行が進むにつれて、私は心のエネルギーを無駄に消費することが段々少なくなっていきました。
 また武道の実戦では、意識は「今、この瞬間」にあります。「勝てるかな!?」といった分かるはずもない未来のことをあれこれ心配すると、現実に足元をすくわれます。また、この疑いの気持ち(心配)は先に申し上げたように、自らを信じていないことから起こることでもあります。このことに関連して、次回後編では自分を信じる気持ち、つまり「自信」をテーマにお話しいたします。

また是非お立ち寄りください。                  (翔の作品)



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なぜ武道をやるのか 其の1 - 肉体の鍛錬として -

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 何かを行う際、私は自分にとっての意味を必ず考えます。

 意味を考えること、それは前向きな姿勢で事にあたる上での欠かせない作業ではないでしょうか?今日は「武道を修行する意味」についてです。私の場合、武道を修行する理由は大きく次の4点に集約されます。

(1) 肉体の鍛錬
(2) 精神力の強化と充実
(3) 学習能力, 論理的思考能力の向上
(4) 日本文化を体現する


(1) 肉体の鍛錬
  
 武道の稽古を通し開発・向上できる身体的資質は以下の通りです。私なりの観点ですので漏れがあることは十分考えられます。武道を志していらっしゃる方はこれを参考に、考えるきっかけとされてください。

 (a) 強靭な足腰
 (b) 俊敏な動作
 (c) 安定した姿勢
 (d) 筋肉の引き締め

(a) 強靭な足腰 … まずは土台作りです。武道のありとあらゆる動き、そして技は安定した下半身に支えられます。この安定した下半身があってこそ、突きや蹴りが非常に大きなインパクトをもったものになります。もちろん受けや投げ・関節技といった技術もしっかりとした足腰があってこそ可能なものです。

 そして足腰の鍛錬のために「立つ」「歩く」といった姿勢・動作を徹底的に反復します。武道の初心者の方にとっては「いったい何のことだろう?」と思われるかもしれません。この「立つ」「歩く」という鍛錬は技術編として、別の機会で説明いたします。

 さて、鍛えられた足腰は日常生活にどのように活きてくるのでしょうか?

 まず「姿」に変化が現れます。足腰が安定している人は、大地をしっかりと踏みしめるように歩いています。重心が低く歩く姿が安定しており、ゆっくりと歩いている姿からは静かな気迫がにじみ出ています。そのような人に対しては、私もついつい間合いを取ってしまいます。講演や交渉など、自分が主導権を握る必要のある仕事をされる方には「ガッチリとした足腰」が物を言ってくれるでしょう。自分の周囲で迫力がある、という人を観察してみてください。十中八九、足腰をみっちり鍛えたという経験をもっているはずです。


(b) 俊敏な動作 … スピードは武道において大切な要素です。突き蹴りはスピードがなければ簡単にかわされてしまいます。逆に相手の攻撃をかわそうにも、動きが遅ければ受けるしかなくなってしまいます。

 さて、俊敏な動作を身につけると、当然ながら日常生活の動作にもその片鱗が見られるようになります。一つひとつの動作にキレが出て、きびきびとした印象を相手に与えることができます。そして各動作のつなぎに無駄がなくなってきます。ドアを開けてオフィスに入る動作のひとつを取っても、洗練された印象を与えることでしょう。


(c) 安定した姿勢 … 技を磨くにあたり、「体の中心軸の安定」は必ず意識すべき項目の一つです。中心軸を安定させるべき理由には3つあり、それらは 体の安定, パワーの集約, 見た目の美しさ, です。ちなみに 体の安定 により、残りの△鉢は自然についてきます。(これらの詳しい解説は技術編に譲ります。)

 正しい姿勢というのは周りの人にも影響を与えるようです。人と相対し話すときなど、こちらが姿勢をキメると相手も自然とかしこまった態度になってきます。またイスに座っている姿勢、電車の中で立っている姿勢などにしても、体の中心軸をまっすぐ保った姿勢というのは見ていて格好のいいものです。特に立つ姿勢がまっすぐな人は、私の目には「自分に自信がある」という風に映ります。


(d) 筋肉の引き締め … 三戦(サンチン)という鍛錬型があります。これは全身の筋肉を絞るような動作を通じて、体を鍛えるものです。これにより、筋肉は太くなるというよりもむしろ引き締まります。筋肉の内部が充実するといった感覚です。三戦はネット上で動画をたくさん見ることができますので、一度検索されてみてください。

 また武道における筋力トレーニングは「武道の動きに負荷をかける」という考え方が基本です。バーベルを持ち上げ、局所的に筋肉を大きくするようなことはまずありません。武道に必要な筋肉のみを鍛えることで、見た目ではなく、機能的な体を作っていきます。実際私の行っている古式空手では、相手の筋肉ではなく「筋肉の付かないところ」を狙うので、徒に筋肉量を増大させても何の役にも立ちません。技術は体の大きさを無力化してくれるのです。もちろん易しいことではありませんが、そのための技術は歴史の中でしっかりと蓄積されています。

 さて、見た目ではないと言ってもやはり「自尊心」というものがあります。自分をよく見せたいという気持ちは誰の中にでもある自然なものだと思います。これによって向上しようという意欲が生まれてくるわけですから、筋力トレーニングも「見た目」と「機能性」の両方のバランスが取れている限り、特に問題はないでしょう。

長くなってしまいました。ここまでお読みいただきありがとうございます。次回は「精神力の強化と充実」というテーマです。ぜひまたこのブログにお立ち寄りください。
                                   (翔の作品)



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Emotional content

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 お元気でお過ごしでしょうか?よかったら、我々のブログの感想等をお聞かせ頂ければ幸甚です。さて今日は、武道における気迫について些か愚見を述べさせて頂きたいと思います。

 しっかりとした構えを取り、相手の呼吸を読んで、体全体で間合いに入って行く時、古式の修行者は、自分の体から何が出てくるか自分でも分かりません。自分でも分からないので、相手にも当然読めません。相手がこちらの意図を読めなければ、勝負の流れはこちらに有利に働きます。

 言葉で書けば実に単純ですが、これを実行するのはかなり困難です。こういう時は、翔君の言葉を借りれば、自分の蓄積を信じて間合いに入って行くしかありません。
 

 英語に“point of no return”(もう後戻りが出来ない地点)と言う表現がありますが、武道にも同じような概念があります。所謂「相応間合い」ですね。もう後は、前に出るしかない対敵位置の事です。ここまで来たら「毒を食わば、皿まで」であります。四の五の考えずに、自分を信じて体ごと間合いに入って行くだけです。
 

 時々、生徒や弟子から「先生、武道の極意とは何ですか?」と言う質問をよく受けます。これに対する答えは、その被指導者のレベルによって変わるんですが、初心者から初段くらいまでの生徒には、「一に気迫、二に気迫、三,四がなくて五に気迫」と言う事にしています。

 沖縄剛柔流の三戦は、気迫を鍛えるための鍛錬です。単なる呼吸法と肉体の鍛錬型ではありません。三戦を指導して下さった、今は亡き上原優希徳先生は「死ぬ時が来たら、ああ、今お迎えが来たんだ、と静かに受け入れるだけだ」といつもおっしゃっておられました。死を覚悟するからこそ、日々の生活が輝いてくるのだ、とも・・・。
 

 話を元に戻します。上記のpoint of no returnまで来たら余計なことは考えてはいけません。「ホントに自分はこの人に勝てるだろうか?」「この人のあの物凄い突きを食らったらどうしようか?」「怪我したら嫌だな」等々、これらの心配や不安は全く余計なことです。ぎりぎりの間合いに来てこんな事を考えているようでは、逆に大怪我をします。
 

 「肚の底で 一旦死んだ 男には 真田の槍も 通さざりけり」
 

 死ぬ覚悟を決めたものが、戦場で生き残り、死を恐れ過ぎたものが、戦場で真っ先に死ぬ、これが本来戦闘と言うものが持つ逆説性であります。こういう魂の鍛錬を実践出来るのが古式の武道のいいところです。とは言え、こんな武道を教える事が出来る先生を捜し出すのは、現代においては、砂浜でダイヤモンドを見つけるより難しいですが・・・・・・。武道を志しておられる読者の方々が、いい師に巡り会えることを心よりお祈り致しております。
 

 閑話休題、道場で組み手をする時は果し合いをする訳ではないので、ここまでの覚悟をしろとは言いませんが、せめて相応間合いまで来たら、「やれるだけの事はやる」と言う潔い気持ちを持つようにして下さい。この位置まで来て、後退すると逆に危険だからです。

 また、自分を信じて前に出るることが出来るように、しっかりと腰に蓄積を作っておいて下さい。

 今日は、気迫の重要性を述べさせて頂きましたが、これも気迫を支える基本があってこその話です。基本もないのに、「やれるだけの事はやる」とか「死ぬ気でやる」などと言う気持ちを無理やり自分の中に形成すれば、それは単なる「ヤケクソ」に過ぎません。ここら辺のところを、若い修行者の方は、決して誤解なさらないように、・・・。

 いわゆる「特攻隊空手」はいけませんよ。仮に特攻隊空手で戦ったとしても圧倒的に体格差のある相手と戦えば、蝿叩きで叩き落とされる蝿のようにあっけなく叩き潰されるだけです。
 組み手でこういう負け方をすると限りない虚無感が襲って来ます。「空手が何だ。馬鹿野郎。結局、体格と体力じゃねーか。」とか「俺は今まで何をやって来たんだ。俺の青春を返せ」などとグダまきながら、自棄酒をあおることになるのが落ちです。武道を志しておられる皆様方が、これらのことから守られますように・・・。

 なお、先ほど「特攻隊空手」という特殊な名詞を無防備な戦い方の代名詞として使用しましたが、これは決して亡くなられた特攻隊員の方々を冒涜する意図から出たものではございませんので、この点ご理解下さいますようお願い申し上げます。

 また、お会いしましょう。



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